海外での状況をネットで見ていると、ある傾向の書き込みをよく目にするようになりました。
それは、海外在住の日本人からのもので、「現在ロックダウンされているけれどももう二週間前にしていればここまでひどいことにはならなかった。日本の皆さんもいますぐ外出を自粛してください。こちらのいまは二週間後のそちらの姿です」というようなものです。
本当に、さまざまな場所から同じ声が上がっているのを目にします。
日本でも、いずれロックダウンが起きうるだろう、という予測をして備えていた人は、私も含めて多かっただろうと思います。
そのような圧の高まりを受けてか、小池都知事からも国にロックダウンを求める発言がありました。
しかし、安倍首相から本日、日本ではフランスのようなロックダウンはできないという発表がありました。
つまりはもう、国の方策で状態へのアプローチは期待できないということです。
これは非常に考えさせられるところです。
これまで多くの国民が求めてきた対応というのは、ロックアウトによって衛生危機に対策しつつ、その間の生活は政府が補償するというものでした。
ウィルスの蔓延を考えれば一刻も早くそれが行われたほうが良いはずなのですが、中々行われずにじれていた人がたくさんいます。
そのため、ツイッター上では先を見ていた人たちからの鋭い意見が出てきています。
それは、結局のところ、国は国民の命よりも経済を優先している、という内容のものです。
感染を避けるよりも、経済活動が延長されることを国が選択しているという解釈です。
この状態に対して、金よりも命だろうという非難の声があちこちで上がっています。
しかし、多くの日本人はいまだ危機感も薄く、わざわざ閉鎖的な店内に行列を作って並んだり、学校が休止になっている子供たちをサッカーチームの練習に通わせたりしています。
これでは確かに、ロックダウンに意味はないと言われる部分もあるのかもしれません。
我々がいち早く練習会の休止に踏み切った時、師父が「これは人間が試されているような状況だ」と言っていたことを思い出します。
私が普段書いている、経済に特化した日本社会の異様さが、いままさに証明されているように感じています。
人間の精神や命を軽視し、下手をすれば無自覚に食い物にしあうというこの国の社会のありようが、そのまま反映しているのではないでしょうか。
思考を放棄し、なんの担保もない中流幻想に浸り、命よりも経済。
なんと貧しい……。
民意と政治体制がこれだけ合致しているのを見ると、自分たちがマイノリティであることを痛感させられます。