日本では中国武術の実態がまったく伝わっていないということが、私が本当のことを広める活動の背景にはありますが、これはもしかたしたら日本だけに限らないのかもしれない。
おそらくは世界のあらゆる国で、中華街以外の場所では誤解が広まっているものだと思われます。
まずはそれを単に、体操まがいのスポーツだと伝えてしまっている中国共産党の表演武術に関しては怒り以外を感じません。
強大な権力を持って意図的な歪曲を広めようという文化破壊活動は、私が行っていることと真逆のものとなります。
伝統思想こそが中国の発展を妨げるという、文革以来の方針で行われていることが、これだけ情報の取得が容易になって今の世界でも広まっていることに脅威を覚えます。
もう一つの誤解は、単なる格闘技だとみなすことです。
これは特に門外の人たちに多い。
センセーショナルに「最強」などという言葉を振り回す人々はこの罠にはまります。
もし本当に中国武術における最強を測ろうとしたら、刀や槍なども用いないといけない。
素手やグローブをはめた試合といことにはなりません。
実際、20世紀でも、本物の中国武術家同士が腕試しで試合をするとなると木刀や穂先をつけない槍を用いていました。
もともとがルールを決めて一対一で勝負をしようというものでさえないので、それでさえだいぶ譲歩した実験だといえると思います。
おそらく、この世の中におけるほとんどの人が、上にあげた二つの誤解のどちらかに陥っていたかと思います。
いつも私が何度も繰り返している通り、中国武術というのは思想の具体です。
先日、ある実戦武術と呼ばれる門派の老先生のインタビューを見たのですが、その先生が言っていました。
「大切なのは、清潔であるということだ。清潔といってもよく洗濯した服を着るとか部屋を整頓するとかいうことじゃない。頭の中に悪い考えを入れないということだ」
これは、単なるモラルの問題ではありません。
現在、メンタルヘルスの問題が大変重視されています。
悪い考えが頭に入っているというのはそういうことでしょう。
いまの世の中は、不潔な考えや矮小な言葉が無制限に頭の中に入り込んできます。
それらに浸食されて、世の中そのようなものだとばかり思ってしまったら、どこかの誰かが作った薄っぺらで薄汚い世界の住人になってしまっています。
仏教ではこれらの考えを煩悩やマーラと表現し、それらの執着を離れることで心の平安が訪れると説きました。
タオでは、そういった心身を蝕む思考を陰陽五行論で転化させて昇華することを気功で学びます。
そのようにして、福禄寿に至るのです。
福とは幸せな気持ち。禄は財産に満たされているということ。寿とは長生きです。
それがタオ的な行の目的です。
すなわち、中国武術における最強とは、精神と肉体の健康を作り、誘惑や悩みから離れて、幸せな気持ちで財産に満足して長生きをするということです。
それに不満がある方、いらっしゃいます?
私の大師や師父は、それを「自分の人生を生ききる」とか「命を全うする」という言葉で表現されました。
すなわち、中国武術とはライフスタイルなのです。