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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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憲法と法律と緩和と

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 ピッツバーグでは五月中に「外出禁止令は憲法で保障された基本的人権の自由に反するのではないか」という訴訟があったそうです。

 裁判の結果、訴訟側が価値、ピッツバーグではシャットダウン(ロックダウン)が解除。他の州からバーにやってくる遠征客が殺到したそうです。

 つか、それじゃ最初から外出してるし飲酒運転。

 ポイントは、アメリカの法律というのは「全ての人民は自由である」という憲法と「民意によって決めるべきだ」という自治権の優位が決められていないというところです。 

 つまり、連邦政府の連邦法と各自治州の州法のどちらに従うべきなのかというのが決定されていないのです。

 なので、問題のたびに裁判をして決めることになる。

 これはおそらく、民主主義という制度を常に時代にあった物として活かすためにわざとそうしているのですね。

 こういう仕組みがあるから、初めから正解がないので毎回意見を出し合ってゆこう、という民主主義の姿勢が維持されます。

 政党としては共和党が連邦法を維持するための政党で、自治権を優先しようと言うのが民主党です。

 なので、この二派は陰陽関係でずっと円環し続けることになる。

 ここで振り返るに、日本の民主主義というのは当然戦勝国であるアメリカの法律をモデルに設定されています。

 しかし、物理的にアメリカのような広大さはありません。

 そこで、大きな地方自治権という物が成立せず、必然的に中央集権となります。

 これが、日本人が議論が出来ないということの歴史的な理由の一つになっているのではないでしょうか。

 縦割り、トップダウン構造が制度として出来てしまっていると思うのです。

 自治法の力が無いので憲法が唯一絶対の金科玉条となり、裁判は判例中心となる、ということです。

 ほら、日本の強固な前例主義の背景が見えてきませんでしょうか。

 こうして、話し合う余地がない日本社会が戦後ずっと続いてきて、今に至っていると思われるのです。

 民主主義なのに国風として話し合いが出来ないという妙な状態がこうして続いてきている訳です。

 そして、その結果いま起きているのが、都内における緊急事態宣言解除の問題です。

 もともと、人権があるから日本ではロックダウンが出来ませんでした。

 自粛要請という奇妙な状態となったのはそのためでしたね。

 ここにきて、長らく権勢をほしいままにしてきた話し合う余地のない国風が裏目に出てしまったのです。

 憲法唯一主義であるために、現実が必要としているときにこれに対して話し合うということができない。

 だからよく分からない「お願い」という形になる。

 さらに追い打ちで、世界経済の流れに押されて緊急事態宣言を解除してしまい、経済再開となったいま、もはや活動を抑止することが実質まったく不可能な状態となってしまいました。

 都知事の制定した東京アラートのガイドラインが、数字を設定したのにそれを守っていない、という批判が高まっていますが、それは当然です。

 なにせあれは建前であって、本音はそこにはないのですから。

 ただ、憲法が引っかかってしまって身動きが取れないので、表向きの見せ看板として掲げただけです。

 得意の「食のワンダーランド」作戦です。

 でも、本当は経済再開はしなければならないけど、感染拡大はしたくない。

 そこで、自粛警察の活動をあおるような発言をしたり、また「いわゆる夜の街」という言葉を大きく打ち出して繁華街巡回のパフォーマンスを行って、まぁ、平たく言えば「嫌がらせ」を行うことになる。

 相手に当たらない範囲でそちらに向かって唾を吐き続けるみたいな地上げ屋的手段になってしまっています。

 一方、ラジオを付けると、首都圏のFM各社では相変わらず「医療崩壊を防ぐためにステイ・ホームをお願いします」というCMが流れています。

 あくまで、自粛の「お願い」です。

 マスコミや広告各社というのは、こういうときに直接民意に訴える強い手段として働いてきていることが善く分かる事例なのではないでしょうか。

 ある大学のCMなどは、受験制度の改定に乗っ取った形で「今は考えることが大切な時代です。よく考えて行動してください」などと大胆な広告を出しています。

 まさにここで書き続けてきた、これからは物を考える時代だということが、ニュー・ノーマル化の流れの中で堂々と前面に打ち出されてきた結果だと言えましょう。

 

 なお、ソフトバンク社が行った四万人を対象として行った抗体検査では、陽性反応があったのはわずか0.43パーセントだったそうです。

 集団的免疫が発揮されるのは、多く主張している人の説では80パーセント台、低く見積もっている人の説でも60パーセント台です。

 効率を上げると医療崩壊が待っています。

 いま、もっとも恐れられているのがそれです。

 だからゆっくり慎重に進めないといけない。

 このペースだと、あとどのくらいかかると思います?

 来年、再来年って本気で思える人、いるんですかね?

 先日、ツイッターでアマビエがさよならを告げているといイラストを見ました。

 疫病撲滅は辞めてウィズコロナで共生になったようだからもう帰る、という内容でしたよ。

 0.4パーセント1を100倍しても40パーセント。まだ低い方の見込みの60パーセントにさえ届きません。

 もちろん、数字の変化にはうねりがあって爆発的に感染率が広がることもあればそのあとにまた自粛要請して下げたりすることを繰り返すのでしょうけれども、仮にいまの数字がコンスタントにキープされるとして、これを一月からの五か月の物だとすると、五か月の100倍で五百か月の段階で40パーセント。

 さらに二十か月足してようやく60パーセントですか。

 五百二十か月。

 ……四十三年くらい?

 とりあえず、私はまだ週末はステイ・ホームして、部屋とせいぜい近所程度で過ごします。

 もちろん、いつまでもそうしても居られはしないかもしれません。

 あるいはニュー・ノーマルでそれでも不自由しない社会が出来るかもしれない。

 でもまぁ、とりあえずは今は、まだ都道府県間移動にはちょっと早いかなあ。


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