先に、短勁について学んでいることを書きました。
その折に老師から、丹田の意の用いかたについて教わってから、急速に用い方が変わりました。
これまでの長勁の考え方では、線と言う物を重視していました。
これは、中国武術でよく言われる経絡や腱の繋がりだと考えて良いかと思います。
この繋がりが全体を覆う球となり、このために全身が一つの巨大な丹田だ、となるのですが、短勁では身体の中にある丹田を意識することになるということだと解釈しています。
これ、つまり大周天と小周天だと言っても良いかもしれません。
武術として行うには小周天までで十分だ、とは大師の教えだそうですが、しかり、きちんと線を練って練功すれば小周天で丹田を用いた短勁によってすさまじい力が出るということが分かってきました。
この短勁の発勁練功そのものが、長勁の土台を強くするための極めて効果的な練功であるとも思うようになってきました。
教わった丹田の意識を用いると、暗勁がとても良くなります。
これは面白いことでした。
まったく自分では違うことをしているつもりだったのに、身体にある記憶と功が繋がって一つの物になっていました。
それを分析して気が付いたことがあるのですが、丹田を言われたように使っている時、私は下丹田、いわゆる臍下丹田だけを使っていません。
胸にある中丹田までが繋がって一つの丹田となっています。
とするとこれは、医学的に言うと腹腔と胸郭となるのかな? 胴体の内部の空洞、となります。
空洞を形作るのは私たちが良く言う「膜」なので、丹田を使おうとするのとこれまで練ってきた膜を使うことが結果的に同じとなっているのです。
こうなると、浮沈というのも同じく、この胴体の空洞の中で意識を上に用いて下に下ろすという考えにも解釈できます。
また、寛骨部と肩関節を対の物と考える外三合の概念とも重なってきます。
やはり、土台を学ぶというのは中国武術において非常に面白いことだと改めて感じました。