フィリピン武術のバストン・ドブレ(棒の両手持ち)は、おそらく中国の海賊武術にある双鞭から来たのであろう、ということを以前に書きました。
この双鞭についてちょっと掘ってみたいと思います。
双鞭、というのは両手に棒を持って戦う武術のことそのものなのですが、これはそもそも刀が兵器として実装される以前から盛んにおこなわれていた物のようです。
どうも刀というのは構造的に高い技術が必要らしくて、兵器としては後発の物だそうなのですね。
それに対して、ただの棒である鞭とその先をとがらせただけの剣というのは、青銅器時代から使われているという歴史の古い物なのだそうです。
ですので、まぁまずそれらの用法が後から刀の操法に応用されたと考えるのが間違いのないところでしょう。
そこから考えると気の遠くなるような長い長い時代の経緯があるのですが、それよりはずいぶんあとの明~清朝の中国武術が現代の形になった時代に隆盛したと思われる、代表的な海賊武術、五祖拳においては、ある動作がその名を取って「双鞭」と呼ばれていました。
大層重要らしく、套路の名前にもなっているほどです。
つまりは、双鞭の用法の基本動作が兵器の基本動作として継承されてきたと考えられます。
そして実際、海賊武術である蔡李佛拳の兵器でもその「双鞭」動作は重要な物とされて多用されています。
胡蝶双刀という両手に刀を持った套路の中でも出てくるのですが、では、拳術の中ではどうでしょう、というところに目を向けたいと思います。
五祖拳の中ではまんまただ兵器を持たないだけでまったく同じ動作が使われて双鞭と呼ばれていたのですが、では蔡李佛ではどうかと言うと、これがですね、五祖拳ほどまんまではありません。
ありませんがあります。
そしてその名を「胡蝶掌」と呼びます。
胡蝶双刀、胡蝶の陣と、非常に海賊武術においては胡蝶が良く出てきますが、おそらくは全て「双鞭」含めて同系の物の伝播なのではないかとみている部分があります。
これ、海賊武術の王道でもある洪拳でもまったく同じ形であります。
福建海賊武術の代表である福建白鶴拳では極意となるのが「胡蝶双飛」という物だと言います。
そして、さらに拡散して東南アジア武術ではどうかと言いますと、あの相手の手を叩いたり持ち替えたりする戦法、あれが中国で言う胡蝶掌です。
つまり、確実に南進しているものだと思われます。
それでね、ちょっと面白いのが、岳家拳の二路、完全に形意拳化した拳撃を放つ套路なのですけれども、そこがですね、打つまでの手法がこの胡蝶掌なのですよ。
ここにね、私は大倭寇の時以降に福建から山東省にかけて隆盛した海賊武術(海戦武術)とそこに踊りこんだイスラム武術のつながりを見る思いがします。
そして、この胡蝶掌、双鞭ですが、世の中にはあまり知られていない物でしょうけれども、非常に有名な技の中に含まれています。
それは、単鞭です。
太極拳の看板技と言っても良いこの技ですが、その名を見ればわかるように、双鞭を半分だけやるとこの単鞭になります。
太極拳は門外漢なので分からないのですが、有名な研究家のK先生によると、太極拳成立より以前からの単鞭という技は中国武術界にオーソドックスにあったのだと言うのです。
こうしてみると、やはり大倭寇のおりの中国武術の大きな変革が、現在の有名拳種各派に明確な痕跡を残していると言えるのではないでしょうか。