先の書き込みで、私が師父となり、ひょんなことから気づけば大きな遺産を預かっていたという経緯を書きました。
中国武術の歴史と伝統を守護してきた人々の壮大な世界に感銘を受けております。
黄河の向こうから、長い旅をして七代を経てこの私の住む横浜にまでこの遺産が届いたことに驚かされます。
いままでこの特殊な勁がなぜほんの一部にだけ見られるのかが謎だったのですが、この角度から見ればどれも同じ一つ所につながっています。
これは学問的に貴重なことであり、俎上に載せて検討すべきことかもしれませんが、それよりも、伝統の保護者として、これまでの方々と同じく、私もまた問わず尋ねず、大切に護ってしかるべき人に伝えてゆきたいと思います。
これが護法の秘儀である以上、やはりこの思想を受け継ぐ人に、そこにまつわる一つの手段として手渡してゆきます。
これまでも、こうして知らぬ間に沢山の人に行き渡ってきたのでしょう。ありがたいことです。
たまたま私は日本人で、伝来して土着した古武術を知っており、またたまたま以前に少数民族系の別派の同根の物をしていたため、これがそれであると気が付いただけです。
人知れず人々の中に染み透り、その心身を支えてゆくことこそ、お山の先師が意図したことなのではないでしょうか。
私のところに来てくれた皆さんもまた、無自覚のうちにこれを身に着けていっていたわけです。正体を知ったらさぞや驚かれることでしょう。
私はあれも知りたいこれも欲しいとやってきた訳ではありません。
ただ、人類が行き着いた真理を知りたかったのです。
それによって、人生に確かな物が欲しかった。
気が付いたら、そこに居ました。
これがタオの働きというものなのかもしれません。
道は常に足元にあると言います。