反知性主義、トランプ政権に見事に踊らされて安易に支持者になってしまうようなポピュリズムに弱い人々というのがつまり、不安神経症を発症した人々であり、そのような人たちの症状はすなわち俗物性である、ということが60年代に分析されました。
では、19世紀に生まれたオルテガがそのような人々をどう分析したかというと、これを「大衆」と名付けました。
この大衆という言葉は非常に注意が必要です。
あくまでこれはオルテガの定義した狭義としての大衆であり、広義の大衆ではありません。
ですので、オルテガは大衆を庶民とは区別をしています。
それでは、オルテガの言う大衆とはなんでしょう。
それは、工業化に伴って生まれた都市生活者なのだと言います。
彼の思想では、人間にはそもそもが彼の言う大衆ではない状態があったと言います。
これが今回のオルテガとの遭遇において極めて重要となったポイントです。
つまり、60年代のマッカーシーによる赤狩りや、日本における世界大戦の時代のことなどを引き合いに出すと、すでにもうことが起こってしまっているあとなので、いつどのようにしてなったのかが見えないところがあります。
不安神経症で俗物化するというまでは見立てられても、その根っこが見えないところがあります。
これが、19世紀からの流れを見てきたオルテガには看破出来てしまうのです。
そもそもが、狩猟者や農耕者であり、それぞれの時間配分でそれに適した肉体を持ってそれぞれの生き方をしていた人たちが、工業化による安定した生活を求めて集まった結果、彼らはそれまでのアイデンティティを脱ぎ捨てることになります。
これは我々現代人のアイデンティティのような物ではありません。
19世紀以前から見るなら、例えば移動に馬に乗る人々がおり、雨が降れば外に出ない人々がおり、貯金などはないと言う人が居ます。
しかし、安定した工業によって生活をするようになると、毎日同じ時間に起きて毎日同じように服を着て同じように通勤をして同じ仕事をすることになります。
圧倒的多数の人が。
それまでは、季節ごとに採る物が違ったり作業が違ったり農閑期があったり猟に出る先が変わったり、場合によっては住むところも変えていた人々が、同じところで同じことをするようになるのです。
みんなで。
この、みんなで、画一、というところが大衆の根本だとオルテガは言います。
オルテガは大衆の実態を「平均人」だと言います。
安定して画一化された工業製品を作るために、工業パーツとして平均化された人間です。
これはフォードがアメリカ合衆国を発展させるために活用した方法だとしてここでは紹介してきていましたが、そのルーツはここにあったのです。
つづく