社会化された肉体への教育が、大衆を増殖させるということを前に書きました。
この、増殖と言うことが大衆の成立そのものに関わっているとオルテガ先生は言います。
彼が根拠にしている数学者の統計によると、ヨーロッパの人口と言うのは6世紀から18世紀に渡って1億8千万をこえることはなかった。
しかし、18世紀から19世紀の間にその人口は三倍の4億3千万を越えました。
工業的躍進のため、大衆はその群れの力を増すことになったということは自明のことです。
かつ、彼らはその近代化社会での技術による生存の方法を習得することに専心して、18世紀までの人間が学習と呼んでいた、精神的な活動に関する関心を失ってゆきました。
こうして大衆はその精神を希薄にしていったのです。
この傾向は、現在の日本でも学問という物において人文系が軽視され、直接的に産業に関わる理系が優遇されている状態に非常に繋がっているように思われます。
そして、それこそが反知性主義と大衆と言う物の根源的な結合点であると言っても良いのではないかと思われます。
このような大衆の性質において、オルテガは二つのことを指摘しています。
一つは、工業化が進む以前であったら奇跡でしかなかったことに関して、それが当然だと思うようになったということ。
これを忘恩と呼んでいますがそれもまぁ当の工業化における労働者本人なのであるからむべなるかなとも思われます。
もう一つの性質的特性は、その工業労働者本人であるところからの、無制限に広がる欲望の膨張です。
これらを合わせてオルテガは、つまり大衆とは甘やかされた子供そのものなのだとしています。
私が日々諸悪の象徴だとしている、オタク、オカルト、スピリチュアル、これらこそまさに子供のまま大人の肉体に老化してしまった大衆の嗜好そのものでしょう。
このようにして、学ぶことさえ大衆の精神を教化することのない世界が広がってゆきました。
つづく