昔、ある拳法マンガがありまして。
主人公が当時まだ日本でまったく知られていなかった中国武術の使い手の少年なんですね。
対して、主人公の強敵となるのは日本刀を振り回して白い学ランに身を包んだ少年です。
その悪役の少年の決め台詞「大衆はブタだ!」は流行語にもなりました。
その言葉通り、彼は大衆を刺激して目を覚まさせ、学生革命のようなことを起こそうとしています。
弱者やイデオロギーの違う物を弾圧する暴君なのですが、正しい目的のために間違った選択をしていた少年です。
彼の父親というのは日本の政治のフィクサーのような強力な権力者です。
その父親が彼に対して冷淡であったために、悪役の少年は自分の政治姿勢を見せて父親に後継者として認められたかったというのが彼のモチベーションにはあったわけです。
しかし、権力と暴力で成り上がって行った彼に対して、父親はやはり冷淡でした。
「大衆はブタだ!」に対して「シー、そういうことは気づかれないようにしておけ」というスタンスなのです。
凄みが違います。
大衆がブタだなんてことは当たり前で、自分たちにそれが分かっていることを気づかれないようにうまく利用して、牧畜して収穫して行くのが政治だと言うことです。
反知性主義の大衆の皆さんが大好きなデマやフェイク・ニュース、陰謀論も、その一つ上流、二つ上流まではただの中身のない同類かもしれません。
しかし、ずっとさかのぼってゆくと、そこには素知らぬ顔で牧畜を営む収穫者が存在しています。
大統領選のフェイク・ニュースが拡散されている最中に、トランプさんの息子たちがそうしていることが発覚しましたね。
必ずわかっててやって利用している。
それにあえて乗っかって飼われることの幸せというのはもちろんあります。
だからこれはあくまで選択肢の問題です。
ただ、ここまで読んで理解できている人々にとっては、ともに生きる大衆仲間たちというものが、中には何もないということが分かるはずです。
これはオルテガの書いたことです。
大衆と言うのは、集団の空気がその中核であり、多数決が絶対であるため、どれだけ恋人や家族に愛を語り、美しいヴィジョンを提供できたとしても、それは全て本当のことではありません。
そうするのが空気に合致しているからしているだけの上っ面だけの形式です。
本当のことは、大衆の中にはない。
平気で自分の妻や娘を売り飛ばしてみんなのためだお国のためだと言ってきた全体主義の歴史が、この国には明白に残っています。
第二次大戦前夜、不作の続いていた農村ではもう若い女性を見ることが無かったと言います。
みんな売られてしまったのです。
大戦中も、一夜妻などと言って徴兵された男子に娘や妻を差し出す習慣があったと言います。
私にはそれが生の大衆の姿であるように思われて仕方がありません。
大衆の群れのもっとも内側にいたなら、何も見ずに何も知らずに幸せに人生を逃げ切れるかもしれない。
でも、もしそうでなかったら?
私は知性と理性の方に賭けて生きてゆきます。