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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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恋はデジャ・ブ

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 最近ではもう、すっかりコンテンツをフィジカルで購入するということが減って、データやサブスクライヴで楽しむということが浸透しているのですね。

 そのために、あちこちでツタヤさんが閉店していっていて、私の近所にあった二店が共に無くなってしまうことになりました。

 Tカードを更新するために行ったところで閉店のお知らせを目にして、もう近所にないのにTカード持ってる意味って? とためらってしまいました。

 昔はツタヤさんとブックオフさんが私の行きつけの本屋さんやCD屋さん、古本屋さんを雑巾でぬぐい取るように駆逐していったのですが、また時代が変わると同じことが繰り返されるのですね。

 こういうどさくさの中で何かを得るのが土行の気の活用で、私は今回、レンタル落ちのDVDを物色いたしました。

 第一弾としては、前から欲しかった「500日のサマー」と「恋はデジャ・ブ」を手に入れました。

 両方とも、玉数があまりないのか手に入れにくい物だったので、とても良い買い物となりました。

 この内の「恋はデジャ・ブ」は日本では無名ですが、アメリカの映像アーカイヴにも保存されているような良質な作品です。

 主演はビル・マーレイで監督はハロルド・ライミス。サタデー・ナイト・ライヴ映画で、ゴースト・バスターズのファンにはおなじみの感じです。

 内容は、ビル・マーレイがいつも通り口が達者で軽薄な嫌な奴を演じており、キャリアと自分のエゴにしか興味のないニュース・キャスター役となっております。

 この彼が、心底見下している地方の素朴な街にレポートで行った結果、なぜかそこでタイム・ループにはまってしまい、同じ一日から出られなくなるというのが大筋です。

 初めはデジャヴだと思っていたのですがさにあらず、本当になぜか出られなくなってしまっていることに気付くと、彼は悩んで酒におぼれたりし始めます。

 レッドネックが集まるバーで飲んだくれて、隣のストゥールに居たいかにも田舎の冴えない労働者と言ったおじさんに「もし、一つの場所に閉じ込められて同じ毎日が永遠に続く人生になっちまったらどうする」とこぼすのですが、それに対してレッドネック氏が返したセリフが、遠くを見る様な目をして「オレァそういう人生だよ?」という物でした。

 上昇志向が強い都会のキャリア主義者である主人公はその閉塞に耐えられず、無軌道な暴走に走ります。

 犯罪を犯したり自殺をしたり。

 それでも同じことが起きます。

 そこで、今度はセックスに走ります。

 時間をかけて目当てとした相手を調べつくして、うまく口説いてベッドに持ち込むのです。

 その手は成功してゆくのですが、結局そういったラブゲームにも飽きてしまう。 

 本当に愛していないからですね。

 ここまで、長い時間を過ごしているうちに彼は、それまでまじめでうっとうしいと思っていた女性プロデューサーのことが好きであることに気付いてきます。

 それで他の女性たちにしたのと同様に下調べを繰り返して口説くのですが、何度やってもダメ。

 毎回どこかで人間性が割れて嫌われてしまいます。

 上辺のとりくつろいや共感を得るための薄っぺらなコミュニケーションのテクニックでは、芯のある彼女には通じないのですね。

 これ、いまどきの薄っぺらなスピリチュアルや啓発本に影響されている人々には大いに学んでほしいところです。

 そしてここから先も同じく身につまされて欲しいところなのですが、ここまでの主人公の行動、中身が無くて精神を病み始めている今どきのいわゆるメンヘラの典型にそっくりではないかと思われるのです。

 他人の評価とエゴの満足だけにしか関心がなく、他人のことは薄っぺらな書き割りだ程度に思って小手先のテクニックでどうにかなると思い込み、自傷感情に囚われてアルコールやセックスに依存し、結局どこにも行くことができない。

 レッドネック氏のように、どこかでそれに納得をしていればもちろんそれでいいのですが、自傷も依存もしないほうが人生として良くない?

 これは多くの現代人に当てはまることなのではないでしょうか。

 おそらくはこの構造が、この映画がアメリカ人の原題を現したアーカイヴとして歴史に遺されることになった理由だと思われます。

 こういった文明病は、アメリカ社会におけることだけではなく、古代インド社会でも同様に存在した物だと思われます。

 ヒンズーや仏教では、これを生まれ変わりと言う形で表現しました。

 永遠に同じことが繰り返されて途絶えることがない。

 未来永劫どこにもいけないまま苦しみが続くと感じられる訳です。

 そこで修行によって自らを変容させてそのサイクルから解脱しようと言う考え方がでてきます。

 こういうのを解脱思想と言うのですが、タオもまたその一派です。

 映画のなかのビル・マーレイは、数千回という同じ日を繰り返しているうちに、いくらでも叶えられる願望に対する欲求が薄れてゆきます。

 その中で彼が惹きつけられたのは、毎日枝から落ちる少年や、街角で震えているホームレスなどの困っている人でした。

 彼は毎日同じ苦しみを繰り返している彼等の所を巡回して、落ちてくるところをキャッチしてあげたりお金を寄付したりしてゆくようになります。

 その一方で、氷像を作ったりピアノを弾いたりという芸術にも引き付けられてゆき、自ら学んで行くことを覚えます。

 毎日は繰り返されるのですが、自分自身は同じ意識を持ったまま生きられるので永遠に物を学んで積み上げることが可能なのです。

 そうやって永遠の年月が降り積もってゆく中で、彼の人格と感性は自然に磨かれてゆきます。

 そしてとうとう、すでに自分の側からは口説く気をとっくに失っていたヒロインのプロデューサーから愛されるにまで至るのです。

 永遠に続く自分自身のエゴに閉じ込められた人生から抜け出すとはどういうことか、ニーチェや仏教、老荘の本を読むのはたるいという人にも、楽しく接することが出来る作品だと思いますよ。


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