現代武道という物が、その発生の理由上から時の政府や権力と直結しているのは必然的な物です。
なにせ、国への帰属意識によって多くは成り立っているものですから。
昔、大手宗教系現代武道の総裁と執務室でお会いしてお話をする機会があったときに「現代武道というのは十派ありますが、連盟に入っていないのはうちだけです」ということを聴きました。
なぜならそこは仏教を母体としていて宗教法人として独立しているから、ということでした。
現代武道の他の九派のうちには、確かに自衛隊を母体としている銃剣道や、かつての警視剣術から続いている警視庁を背後に持った剣道連盟(薙刀道、杖道もここに所属)などがあります。
合気道もまた警察庁の正課とされているとのことで、やはり国の権力構造と直結しています。
それらすべての始まりとなるのは加納治五郎の柔道と国家資格との直結で、これは滅びゆく柔術を国の力で存続させるために、柔道を体得した者がそれを職業として食べてゆけるように作った癒着のシステムです。
これらのようなダンゴの仕組みがある一方、弓道のように禅の心を重視し、競技化を否定した派もあります。
なので国家権力と繋がってるから良いとか悪いとかは一概には言い難い。
しかし、これはあまりにも情けなく思いました。
菅首相へ「名誉九段位」を授与、全日本空手道連盟が発表 スハルト氏以来44年ぶり/スポーツ/デイリースポーツ online (daily.co.jp)
既得権益を保証してくれる団体に押し上げてもらったからと、段位を安売りするこの姿勢。
私的な名誉段として五段、六段程度の控えめな物なら儀礼的な意味だと理解も出来ますが、実質最高位ともいえる九段認定を、ためらいもなく堂々と行えるこの全空連の権力ゲバな態度の恥知らずなこと。
しかもこの前例としてあるのがインドネシアでの大虐殺の裏に居たスハルト。
これまで、歴史的な経緯や技術的な空虚さから、空手は無いわとずっと言ってきました。
私が初めて行った武道であり、少年時代から二十歳過ぎまで取り組んでいた物ですが、やればやるほど悪いところばかりが見えてくる。
オリンピック競技に認定されたときも「世界的に見てまったく良いことに思えない」と記事に書きました。
私には空手道という物が、形式主義、権威主義の権化だとしか思えません。
結局、仏教、禅の修行であると言う少林拳の本質を忘れて人を殴る手段という形式だけが残った物に口から出まかせの勝手な理屈をこじつけ続けると、こういうことになるのだというように解釈しています。
そんな空手を身内意識だけで支持する人々は、今でも一生懸命菅総理とその内閣を応援しているのでしょうか。
なにやら、すべてのことが「そういうのが好きなヒトってこうだよな」というような身もふたもない連結を見せている気がして仕方がありません。
いずれ政治とカネの話題の中で、全空連の名前が浮かび上がってきたとしても、私はまったく驚かないでしょうね。
げんなりとため息は吐くでしょうが。