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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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私たちの育った場所

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 私の育った町がすこぶる悪いということを何度か書いてきましたが、この二日、立て続けにテレビとラジオで起きた凶悪事件のことをニュースで聴いています。

 一つは警察官を装った強盗事件。もう一つは良く知っている団地で起きた集団暴行事件についてです。

 なんというか「あぁ、気づかれ始めたか」みたいな感じです。

 先の方のニュースは、警官を装ったという反権力性が断じて許されないという司直の判断によって大ごとにされている物なのでしょうが、もう一方に関しては、えぇ、まぁ、私の若いころの感覚で言うなら、毎日起きていることです。そういう町です。

 五、六人で一人の若者を囲んで刃物で切り付け、幸い被害者は命の別状はないということなのですが、えぇ、死なない程度の刃傷沙汰は毎日起きていたと思われます。

 私が若いころの世相では、私たちのような存在は居ないはずの物でした。

 バブルでクリーンで幸せなグローバナイゼーションが進む中で、蓋をされて無かったことにされている地域がうちの町でした。

 世の中がどんどん疲弊して行って、レベルがうちの町に近づいてきたのでしょうか。どうやらうちの町の存在に目が合ってしまったようです。

 特に、こういう一年で年末になるとよりやけっぱちじみた粗暴犯罪は起きやすくなるようです。

 私も現職時代になんどか、官憲のお世話になって入れば食べ物が得られて雨風がしのげるという犯行者を補足したことがあります。

 そちらが目的でそのための手段として犯罪を犯すのですから、やられたほうはとんだとばっちりのような物です。

 うちの町では、容易くそのような状態になるような人たちが沢山住まっていました。

 この辺りをちょっと歩いてみれば、家庭裁判所、簡易裁判所、自衛隊の駐屯地に国立大学と言った官領地が多いことに気が付きます。

 つまり、元々人が住みやすい場所ではないのでそのような広めの土地を要する公共施設の用地に当てられがちだったのでしょう。

 私の家などはすぐ向かいに日露戦争の時の爆破実験施設がありました。

 その施設は民間におろされて90年代くらいまでは稼働していました。

 学校で授業をしていると爆発音がして地面が揺れた物です。

 そんなとこでフツー暮らす?

 山々の多くは農地で、そこにトタン屋根のバラックや二軒長屋が点在していました。

 そこに生まれたらヤクザか職人になるしかないということが囁かれていました。

 私も両方齧りました。

 その中で、そんなことをしていては永遠にそのままだと気付いて、自分で底を抜け出す努力を始めていまの活動に繋がっています。 

 90年代を通して、国が貧しくなっていたことで目が覚めた部分があります。 

 まだハイティーンだったころは、免許を取ったばかりでシーマやセリカを乗り回す友人たちが居ました。

 もう少しお金をためてセフィーロを買ったり仕事用にハイエースを買ったりなんて話をよくしていました。

 車のランクで生活ランクを区分するのは好きではないのですが、分かりやすい事実なので例に挙げています。

 バブルが崩れた後は、組長クラスでさえ軽自動車、会長の車も国産でレクサスでした。

 ヤクザを続けていた友人に「なんでそんなになってもヤクザやってんの?」と訊いたのですが「わからない」との答えが返ってきました。

 非合法なことをして大金が得られるからだという理由ですらないのです。

 ただ、他のことが出来ないからというだけ。

 それで貧乏暮らしをしてまで嫌な世界で働いている。

 コンビニでバイトでもすりゃいいのに、と言ったところ、実際にバイトしながらヤクザを続けている者もいるとのことでした。

 本当に、大変だったけど早めに目が覚めて良かった。

 ただ努力をしないで現実から目をそらして生きていければそれでいいというだけの理由で、そんな惨めな生き方をする必要はない。

 年老いて引退した組長たちに、偶然遭遇したことがあります。

 一人はスラム街のホスピスでケアをされて暮らしていて、刺青の残る身体にオムツ一枚といった姿で、昔は良かった、情けない、という話を繰り返しされていました。

 もう一人は有名な二年参りの名所での商売を仕切っていたというテキヤの親分で、畑の真ん中のバラックで奥さんと二人で生活保護を受けてくらしていました。

 年収数千万なのに生活保護詐欺を受けているという口ではありません。

 身体を壊して、本当につつましやかに暮らしていました。

 私はその家庭に仕事で集金に行く形で接していたのですが、行くたびに逃げ隠れしていて、最後には生活保護を管理しているソーシャル・ワーカーさんから払ってもらうという形になりました。

 私も目が覚めなければ、その辺りが末路であったかもしれません。

 自分で目を覚まし、自分で自分を変えてゆくことの積み重ねでしか、自分の望む生き方と言う物は得られないのではないでしょうか。

 ライフスタイルとしてのマーシャル・アーツなんてことを語っていると軽薄なファッション武術の団体だと思われるかもしれませんが、うちの根幹は自分のライフスタイルを自分で調整するということの重要さにあります。

 それは全然、軽薄でもファッショナブルでもない。

 ほんとうに、堕落して行き詰まるというのことが人間にはあるのです。

 それを知っているから、良い人生を納得して生きるための古典的なメソッドを提供する形でこのような活動をしています。


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