昨今のヒーロー映画は、どうしても「正義の味方」を描くために社会性や政治色が高くなっています。
結果「あんなポリティカリティ・コレクトのプロパガンダ映画なんて見てられないよ」という声もあります。
それも一つ、正統な当然の意見だと思います。
多様化する世界の中で、多様な意見を認めつつ、ビッグ・バジェットでエンターテインメント作品を作ると言うのは本当に大変なことであろうと思われます。
大変な苦労もあってか、形をなぞっただけのような作品もある一方で素晴らしい名作もあったりします。
今回お話するのはそのような名作の一つです。
お話の冒頭、主人公は大人たちに交じって戦士としてのパフォーマンスを披露するある種の十種競技のような物に参加します。
そこで彼女は素晴らしいパフォーマンスを見せつけるのですが、途中で落馬、馬に逃げられてしまいます。
しかし、コースの抜け道を見つけてしまった彼女は、そこを通って乗馬ステージをすり抜けてゴールに向かいます。
そして見事一位入賞をしようとした直前に、師匠筋に後ろから引き止められて前進を阻まれてしまいます。
自分は勝ってた! と主張する少女に「いいえ、あなたは勝っていない」と断言が下されます。
続けて「あなたはまだ勝つ準備が出来ていない。自分をごまかして近道をしてはいけない。真実を見つめて公正であることが本当の勝利への道なのだ」と告げられます。
あー、これはすごいことだなあと思いました。
本当に、私が日々発信し続けている正しさの観点そのもののように感じました。
物語の中、彼女は自分が図らずも不正に手に入れてしまったものを、公正さのために手放すシーンがあります。
そうした瞬間から、彼女の走る速度が速くなってゆき、負っていた怪我は回復し、やがては空に向かって飛び立ちます。
偽りを捨てて公正さを選ぶことで、彼女がスーパー・ヒーローとしての力を発揮するということがそのようにして描かれています。
人が正しく、強く生きるためにはそこまで厳しく自分の持つべきではない物を捨ててゆかねばならないのかと震えるような部分がありました。
物語の最後、彼女の先代のヒーローが出てきて語ります。
「私たちは昔からこうやって人々を守ってきたのよ。力は要らないの。やり方を学べば」
そこまで含めて、本当に私の書いていることに似ています。
拳という言葉は古くは「裁定する」という意味だと言います。
表層的に想像するなら、どちらが勝つか、あるいは他者を力で断罪するというようなニュアンスでの「裁定」となるでしょう。
しかし、本当は自分自身を裁定する物だというのが含むところなのではないでしょうか。
自分をごまかして近道をせず、真実を見つめて公正であろうと生きてゆきたいと思います。