ひょんなことから人生が変わった、とか歴史が変わった、ということを良く書いています。
きっかけと結果のつながり方が面白いケースというのはあるものですが、結果から読めばみな必然に思えることもまた多いと感じます。
先日、進化人類学の見地から、いまはホモサピエンスが各地に移住して世界中に分布したと言うことを書きました。
そこに関して、ものすごく疑問に感じていることがありました。
それは「なんで寒いところに住む人たちが居るんだろう」ということでした。
私だったら絶対に住みたくない。
そんな、寝相が悪くてうっかり布団蹴飛ばしたらそのまま永眠しちゃうようなところでは絶対に暮らせない。そう思っていたのですが、最近理由の一つを知りました。
それは、食料の問題です。
私が超国家主義者で、日本という物に肯定的なアイデンティティを感じていない、ということは何度か書いてきたと思いますが、その理由の一つに「とにかく過去が面白そうじゃない」というところがあります。
平安期くらいからずっと、飢餓、疫病、飢餓、疫病と来て、室町後期に少し発展と自由が来たかと思ったら江戸入ってから即封建。
以後大戦、大戦、大衆、ロスジェネ、パワハラ、ブラック社会。
もう、どの時代に生まれても全然楽しそうじゃない。
地獄かこの国は、という感じすらします。
もっとも長期的に発展していたという江戸時代ですら、ひと冬の間には数千人が凍死していたと言います。江戸市中で。
とにかく歴史がこの調子で貧乏くさい。
しかし、江戸時代の有名な「天保の大飢饉」についての文書を見ると、東北などの雪国は現在でも米どころとして知られているように、食糧事情が良かったことがうかがえます。
基本的に、雪が溶けて水になるのですから水資源が豊かで水田農業に適していたのでしょう。
他の地域によっては農地での水争いで村同士で殺し合いが起きていたのですから、このアドバンテージはかなり大きかった物だと思われます。
面白いのが、天保の大飢饉で農作物が取れなくなっても、漁獲で助けられていたという記録まであります。
確かに、日本は北国ほどお魚のおいしさで知られている感じもします。
また、かの飢饉のおりに魚さえ足りなくなっても、新潟などは「それじゃあいつも捨ててる迷惑な奴だけど数だけはやたら獲れるあれでも食べてみるか」とサメを食べてみたところ、これが「美味在臭味」臭みがあるが美味しい、とされて珍重されたそうです。
しかも、このサメなどの軟骨魚類の臭みはアンモニアが体内を循環しているためなのですが、このアンモニアが腐敗を防ぐため、切り身を雪の中に入れておくと長期間保存がきいたのだといいます。
すごいではないですか。
当然、アンモニアは無くても寒ければ食料の保存状態は良くなる訳で、あらゆる食品に対して保存のアドバンテージがあったものだと類推されます。
だとすると、私の「寒いから住みたくない」などということは二の次で、その寒さを活用することで食糧事情がすこぶる良かったということになります。
こういうことですね。
物事には理由があるわけです。
この必然の連鎖、因果関係を読めるということが、賢いということなのでしょう。
私はこれまでまったくそこまで考えが至っていませんでした。