前回は、科学的に神々が観測されたということを書き、それは東洋の身体哲学や信仰で言う観想という行に通ずるということを書きました。
今回は、それについて具体的な例を書いてみようと思います。
身体哲学、行というと、もちろん我々の気功のルーツであるヨーガに至ります。
ヨーガのアーサナというのは本来、それごとに対応した神々を観想しながら行うと言います。
本物のヨーガには本物の観想の仕方があり、適当ではダメです。
昔から日本のヨーギン、気功愛好家、中国武術家などは適当なことをしては偏差を起こして魔境に至って精神病患者を大量生産していますが、多くは正しいやり方を伝承されずに自己流で行っているからでしょう。
ここで書くのは本物の観想のやり方に関する物語についてです。
昔、シヴァ神と奥さんのパールヴァティ女神は大変仲睦まじく、ヒマラヤの山頂にて暮らしていた。
しかし、些細なことで喧嘩をしてしまった結果、シヴァ神は妻に「消えてしまえ」と言ってしまう。
彼はこの世のすべての破壊をつかさどる神々の王だ。
仏教での名は大自在天というくらいで、意図したことは自在に起きてしまう。
妻の姿は消滅してしまった。
しかし、そこは輪廻転生のインド神話世界観、消えた物はまた生まれ変わる。
女神は遠く離れた漁村の長の娘として生まれ変わった。
美しく育った彼女には次々と求婚者が現れるが、そのたびに彼女は龍王の宝石を持ってきてくれたら、とか天女の羽衣を贈ってほしいなどと言う。
前世での夫なら出来たことの記憶なのであろう。
やがて、生まれ変わった女神の存在を見つけたシヴァ神の家来の神牛が漁村の沖合に現れる。
巨大な化け物の姿に人々はおびえるし、魚も逃げるので村は存亡の危機となる。
困り果てた村長は、化け物を追い払った者に娘を与えると宣言する。
もちろん、人間の手でどうこう出来る物ではない。
しかし、そこにシヴァ神が現れてこの牡牛を回収した。
かくして村長は、娘をシヴァ神の嫁に捧げることになった。
シヴァ神は女神をヒマラヤの山頂に連れて帰り、元の鞘に収まった二人は半身づつで一人の姿となった神、アルダナーリーシュヴァラとなった。
なんだこりゃ。
なんだこりゃですが、これ、おそらくはかぐや姫のお話の元ネタではありますまいか。
以前に書いた桃太郎のお話のルーツに引き続き、今度はかぐや姫のルーツにたどり着いてしまったようです。
では、このお話が何を表しているのかをご説明いたしましょう。
まず、ヒマラヤの山頂というのは、頭頂部のことです。
ここにチャクラがあるとされています。
我々の気功では崑崙峰頂と言い、やはり重要な穴所です。
そして、同じく地理として出てくる海辺の村。
これは高い山の真反対、地の尽きるところ、すなわち会陰部です。
ここもまた、チャクラがあるとされています。
シヴァ神は世界の形而上の物を象徴すると言います。
逆に、パールヴァティ女神は物質を象徴していると言います。
人間の体内においては思考などの電気信号がシヴァ神、そして物理的な液体などの要素がパールヴァティ女神としてあらわされています。
そして、このパールヴァティ女神、インドの神話ではシャクティという女神に分類されます。
これは性的なエネルギーが御神体となった物のことです。
この性的エネルギーが頭頂に昇るというのが、つまり有名なクンダリニー上昇という物です。
このエネルギーが頭頂に至ってそこにある霊性(シヴァ神)と結びつくと、人間としての覚醒が始まると言われており、それこそがヨーガの目的だと言います。
私たちの気功では小周天と呼ばれる物です。
頭頂で合一されて新たな神格、アルダーナリシューリーシュヴァラとなったというのは、このシャクティ信仰における象徴的な神だとして信仰されているそうです。
つまり、この神話と信仰は、ヨーガのクンダリニー上昇の行そのものを語っている。
ですので、観想においてはこれを正しく観想するのです。
頭頂で動く霊性を知覚してシヴァ神として描き、それが会陰のチャクラにあるパールヴァティ女神として描かれる性エネルギーと呼び合うことを観想する。
そして、両者が合一して頭頂にてアルダナリーシュヴァラとなるまでを行の進捗具合に伴って観想するのです。
シヴァ神の姿は青い肌に額に第三の目、首には蛇を巻いて三日月を装飾し、編んだ髪はガンジス川となっており、三叉の槍と太鼓を持っています。
そういった一つ一つの特徴を持った姿をありありと描くのです。
もちろん、パールヴァティ女神、海の怪物となった牡牛もです。
最後には、半身ごとがシヴァ神とパールヴァティ女神であるアルダナリーシュヴァラ神の姿も。
そういうことを、まずは教わるところから始めないとお話にならない。
もちろんこれは難しいことです。
だから彼らは日常的に常に似姿を飾って目にして意識に染み込ませようとしている。
そういった行を正しく行わないで適当な自己流をやっても、タヌキのエサになるのがオチなのでしょう。