毎日の生活の中で、積み上げられてゆく物があるというのは心の中で大切な物になっています。
本当は、そのような物がなくても喜びに満ちて生きて行ければいいのですが、そこは悲しき凡夫の性。
最近は、五祖拳の短勁の発し方を教わったのが大変に面白いく日々これを修練しております。
また、内功に関しては、内観をする禅を教わっております。
それをやって思い出したのですが、私は内光の功を得ていたのでした。
特にそういうものに執着がないからすっかり忘れて暮らしておりました。
やれと言われたことはやりますが、自分のそのような能力に関しては特に、他人にひけらかすでも威張り散らかすことにも興味がないので使わないなら忘れてしまいます。
この手のことは特にこういった淡白な気質が悪い方向に働くとも思っていない部分もあります。
人と自分の比較のために物事をやって、いたずらに担保無く自分を粉飾できるようなオカルトやスピリチュアルに捉われることこそまさに典型的な大衆の愚行。
そのような魔境にはまってはあまりに情けない。
特にのような世の中で物を知らない大衆が安易に発信が出来る状況においては、無邪気な愚かしさが誤った情報を発信することで世に害悪を撒き散らかすと言うことが非常に多いように感じます。
先日も、ある人がネットにパワースポット巡りと称して山歩きをして撮った写真を上げており「すごいところです。写真には必ずオーブが映っていました。おかげであれから体調が良いです」などと書き込んでいるのを目にしました。
一方気象情報に目を向ければ、いまの時期は花粉が出始めているころであり、そのような針葉樹が植えてある山中で写真を撮ると、花粉光輪という物が映るとニュースが発信されています。
そう、パワースポットの光の輪は、そこら中に舞っている花粉が反射した物です。
掃除中に埃が待って反射した光がきらめいているのと同じです。
花粉を吸って体調が良くなるのだったら、さぞやこれからの季節は沢山吸えて良いことでしょう。
同調していたご友人方にもたっぷりと味わっていただけたらよろしいですな。
そのような愚を犯さないために、胡乱気な力には重々用心をしないと身体開発は危険が伴います。
そこであまり怪力乱神には関わらないで来ているのですが、巡り巡ってまたこれが出てきたので、これを機にまたこちらも研究してみようかという気にもなりはじめました。
この、内光の段階に至ると、大師の教程では次に術の段階に向かいます。
術とは何か、変化や分身、空を飛ぶと言ったような仙術です。
そうなのか、では頑張って飛ぼう、となってしまうと、これは鰯の頭に花粉の反射、果てはカルトへの一本道です。
そんな短絡的な物であったなら私はまったくこのような物には関わっておりません。
変化や分身の術の訓練を行うのは、夢の中でだと言います。
夢の中でそのような術を自在に操れるように訓練をするというのです。
これは、明晰夢と言う奴ではあるまいか。
我々の行が脳の開発を中核としているからには、そのようにして夢の中で覚醒するということはなにがしか脳の力の開発の結果なのでしょう。
瞑想というのは、起きながらにして半ば睡眠状態に脳波を導いた状態です。
それを陰陽思想で見るならば、睡眠中に半ば脳を目覚めさせた状態もまた同様のことなのではありますまいか。
良くは知らないのですが、チベット密教には夢見の行という修行があると聞きます。
おそらくはそれが伝播してきたのではないかなあ。
そして、そのように夢の中で像を結ぶ力が鍛えられれば、これは観想の力の発達と言えるでしょう。
観想はヨーガでは必要な物だとされていますが、意識の内に正確なディティールを持った像を描き続けることはこれはものすごい集中直と持続力が必要になります。
あるいは、羽生名人のような直感記憶を焼き付けた方が早いかもしれない。
世の中には実際に名人のように、生まれながらに脳内に写真を撮るように風景を記憶する体質の人が居る訳ですから、後天的な能力で人類にそれが可能であったとしてもおかしくはありません。
覚者であるお釈迦様のあの髪形は、螺髪と言ってあまりにも脳みそが発達しすぎたために外に出てきた物だと言います。
それだけの脳の発達を持って、直感記憶力を所持していれば、膨大な量の資料や経典を一見して記憶することも可能なのでしょうね。
それを写経すれば人々に伝えることも出来ることでしょう。
私自身はどうもそのように頭が良い人間になれる気はしないのですが、先日新人賞を受賞したある東大卒業生は、テストに受かるのは特殊能力だと言っていました。
元々の能力で、ただ教科書を読んでさえいれば覚えられるので受かるのだ、というのです。
予備校とか特別な勉強ではない。
彼女はその能力で、弁護士資格も取得しているというので、恐らくはここに書いたような脳の発達が生来進んでいる人なのでしょう。