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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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弱拳法

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 普段興味を持たない物について調べたり眺めたりしているうちに、これまで目に付かなかった物に出くわしました。

 その一つがこの動画です。

真面目な話詠春拳やっても強くなれないからやらないほうがいいよ、その物理的理由 - YouTube

 

 このセンセーショナルなタイトルは、いかにもユーチューブ的な釣りで、観終われば予想外の答に着地する、というのがユーチューバーの得意技ですが、この動画はタイトル通りの内容です。

 そして、そのことは私が過去何度も繰り返し書いてきたことと大いに重複します。

 そのことについては後で書くとして、まずはこの話手の方について書きたいのですが、実に何をやってるのかよくわからない人です。

 わからないのですが、動画を拝見した感じ、つまりは武術の世界において堀江さん的な切り口の話が出来るタイプの人なのかな、と印象しました。

 つまりは、先進的で合理的なビジネスのような視点で話せる、という人です。

 普通、そういう人は伝統的な武術の世界なんかに関わらないので、このスタンスはあまり居ませんでした。

 大抵古典武術を強いだ弱いだ批評するのは何もわかっていない格闘技の人達で、競技の物差しで伝統武術を図るので的を捉えていない物だと思っているのですが、この方は自分自身中国武術をやっていて、動画のコメント欄でも「形意拳なら間違えることは少ない」などと細かい部分での分析をしてらっしゃるのですよね。

 つまりは内側からの視点で批評が出来る。

 これはいままでいなかった貴重なタイプなのではないでしょうか。

 そのスタンスの上で語っているのが、ウィンチュンは弱いと。

 元々ブルース・リーやイップ・マンの映画でにわかに流行っているだけで、まったく強くならないということを、他にも動画を上げて語っています。

 その上で、そういう物をみんながして強くなると思ってしまうことを「洗脳されている」と一刀に切り捨てています。

 これ、私が書いてきたことと同じですね。

 映画で流行ったから、自分がやっているから、というだけで、自分がたまたま手に取った物を「強い」と言い出してしまうのはエゴからくる迷妄以外の何物でもありません。

 十種類くらいを十年位かけて並行してやりながら分析して行った、とかならともかく、素人が一つだけやったのみでは検討など出来る訳がない。

 この方の面白さは、そういった洗脳を「ブランド化」と紐づけて見識していることです。

 動画の中でウィンチュンとならんで意拳に関しても「アホか」と言っていますが、確かに、意拳もまたこの方が言われるように、ブランド化に成功したけれども有名無実な門派だと言われても、冷静に見直せば当然だと思います。

 すごいすごいと言いますが、誰も何も見ていない。

 なら、その代表である太極拳はどうなのか、という疑問は湧いて当然でしょう。

 これをこの人は、ブランディングに成功した例として挙げています。

 なぜなら、太極拳が最大の人口と知名度を獲得したのは、強い弱いというモチベーションとは別のところにブランド化したからです。

 健康や趣味の楽しみのために安全気軽に取り組めるものだとブランディングしたからこそ、他の武術には持ちえない老若男女の顧客層を獲得できた。

 満足に階段が登れないようなおばあちゃんが、強いだ最強だを求めて太極拳やりますか?

 初めから、ブランディングに織り込まれていた部分が違うのです。それが大成功しました。

 元々、イップ・マンという非常に優れたプロパガンダ映画以前、中国武術の世界ではウィンチュンが強いだ弱いだなんて話は壇上に上らなかった。

 それは、そのネーミングにもあるように、これは非力な女性でも鍛えたり長年の訓練をしたりせずに、短い時間でちょっとしたセクハラなんかを払いのけることが出来うる、というコンセプトで行われていた物だからです。

 強くなるための物じゃない、というところがブランドとしてあった訳です。

 しかし、ブームが訪れて洗脳された人々の手に広まると、迷妄が発生してきます。

 いい若いもんがわざわざ強くなるために初めてしまう、ということが起きる。大衆化です。

 この方の動画では、ウィンチュンは足が利いていないので、走り込みやトレーニングで鍛えこんだレスラーやボクサーには勝てない、強くなれない、と語られていますが、えぇ、元々そういう強くなるための物ではないですから。

 そういう持久力や筋力が無い人が、襲われた時に避けるための物であって、時分から相手を討つための物として想定はされていない。

 この、ニーズとコンセプトのマッチングが捻じれているのです。

 話主の方が言われるように、色々な物をやっている中で少し経験すれば得る物はあるかもしれないですが、強くなるためにやろうと言うとお角が大違いです。 

 そういう意味では、この方の見解は正しいと思えますし、それゆえに元々の見方が違っているとも受け取りました。

 武術=強くなるための物、というのは思い込みです。

 同じ見当違いを、この方もウィンチュンのにわかトレーニーも共通して犯しているように思います。

 自分が何を求めていて、そのために何を選択するのか、ということは非常に重要なことでしょう。

 私自身、少年期から格闘技をやっていて若くして膝を壊してしまい(昔はそういう時代でした)、引退してから運動不足でデブるのを避けるために筋トレを始めたのですが、その頃はフィットネスをしていると「使えない筋肉をつけている」「何になりたいの?」とネガティヴなニュアンスで人に言われることが多々ありました。

 これは、筋肉は使うために付ける、という思い込みからくる錯誤が一つありますね。

 別に使うことだけが目的ではない。

 ファッションのために、というのもあるでしょうし、私の場合はとにかくカロリーを捨てるために、というのが目的でした。

 膝が壊れて走れなくなっていたので、他の部分を動かしているだけです。

 何になりたいのか、という質問に関してですが、何かになりたいがためにやるというのも思い込みで、逆にデブになりたくないからやっている、というのが私のモチヴェーションでした。

 週に四日以上の練習と日々の走り込みが出来なくなったら、それは太るに決まっているではないですか。

 それを緩和させるためには、代替行為で維持を目指さないと。

 目的には多様性があります。

 なので、選択肢にも多様性があるのが本来は良いことであるはずです。

 別に強くなりたくない人が選べるものがあった方が良いと思いますし、やること自体が目的化しているという選択肢も現実には沢山あるはずでしょう。

 実際、武術には弓術、砲術に馬術や水術まであります。

 喧嘩で強くなろう! として選ぶという基準は、極めて狭い了見の中だけでの物ではないでしょうか。

 そういうことを冷静に切り分けてゆくことが、私がいつも重要だと書いている「識」の役割なのでしょう。

 強いだ弱いだ、勝っただ負けるだということは、中国武術においては本来あまり意味がない。

 正統な本道の中国武術で言うなら、何よりも識を得ると言うことが大目的です。


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