シヴァ神とそのシャクティ女神の神話として、ヨーガの行の教えが伝わっている、ということを書きました。
これはシヴァ神がヨーガの開祖として設定されているため、自然そのエピソードに行の要点が集約されているからです。
そのシヴァ神の特徴として、額の第三の目があります。
これはただ、神性の象徴という訳ではありません。
額にはチャクラがあるというのはシヴァ信仰やその系譜であるヨーガでは当たり前のことですが、他の神様もそのチャクラが開眼している証としてこの額の目が描かれている訳ではないようです。
あくまでシヴァ神のアイコンだとされているようです。
そのシヴァ神も元々これがあったわけではなく、瞑想によって開眼したのだ、というエピソードがありました。
興味深いのでご紹介いたしましょう。
このお話の起点では、シヴァ神は自身のシャクティ女神を失っていたと言います。
インド神話では神々は何度も死んでは転生するというサイクルを繰り返すので、そのようなことはいくらでもあるのでしょう。
先に書いた理論に照らし合わせると、シヴァ神と言う陽の気とシャクティ女神の陰の気が融合して完全な状態であり、それが失われたところから再和合を果たすために行うのが行である、ということになります。
この時のシヴァ神は、前に書いたかぐや姫のお話やシャクティ女神が狂気に陥ってカーリー女神に化身してしまったときのように、自身の半身とも言える力との調和を無くしている訳です。
その中でシヴァ神は長い瞑想に入りました。
あまりに長い瞑想なので、他の神々は目を覚まして欲しいと思いました。
そこで、愛欲の神カーマデヴァがシヴァ神に矢を放って起こしたところ、瞑目したままのシヴァ神の額に目が開いてそこから閃光が噴き出てこの愛欲の神を焼き殺したのだと言います。
以来、シヴァ神の額には第三の目が開いた、とのことです。
これは非常に面白い。
自身のシャクティ(精の力)を失ったシヴァ神が、不足のある、不調和な状態で瞑想に入る。
それを起こしたのは愛欲であると。
精とはセクシャル・パワーのことなので、この生命の根源的なセックスの力を無くしていたのを呼び起こすのが愛欲であるというのは理にかなっているように思います。
しかし、シヴァ神は瞑想を終わらせることなく、額に開眼して愛欲を焼き殺す。
これは、瞑想の行によって愛欲の誘惑を断ちながらにして、セクシャルなパワーに開眼したと言うことを表現しているようです。
逆を返せば、シャクティを失った者が行の中に愛欲の力のきっかけを得ることで開眼するという、二重に性の力を説いたセクシャル・ヨーガの伝であるとも取れる訳です。
我々、このようなインドの行から中国に伝わった気功では、房中術という精気を扱う行によってこの額の穴処(いわゆるツボ)を開眼させる訳ですが、私はこの額の穴処の開発を、松果体の活性化ではないか、と書いてきました。
松果体とは、脳の光を感知する部分です。
シヴァ神がそこから光を放ったというのはこれを表現しているのかもしれません。
元々脳には四か所の光を感知する器官があり、そのうちの二つが外部に露出して眼球になったと言います。
もう二つは眉間と頭頂にあると言います。
その眉間の部分が松果体です。
この眉間のツボは印堂と言うのですが、その奥に松果体があると私は仮定しています。
というのも、行によって印堂穴が活性化すると、強い光を感知するようになるからです。
目薬を差してカスミ目が改善されたと言うくらいの物だと私は解釈しています。
さてその松果体、実はメラトニンという物質を分泌する働きがあるそうです。
第三の目の置くにはアムリタ・チャクラというチャクラがあってアムリタという神の力の元になる液体を分泌すると言うのですが、私はこのメラトニンがそれなのではないかと思っています。
メラトニンは快楽物質であるセロトニンの元で、人をリラックスした幸せな状態にします。
すなわち、瞑想で気持ちが良い時の状態に出ている物です。
うつ病やそれに伴う睡眠障害でクリニックに行くと、このセロトニンの錠剤を処方されます。
メラトニンは睡眠を司るホルモンなのですが。
瞑想とは、起きながらにして脳波が睡眠状態に寄った、半ば覚醒、半ば睡眠状態という中間の状態だと言います。
ならばやはり上記の神話はこの辺りのことを神話として伝承した物であるという仮説はより強く裏付けられるように思います。
このように、いいことが沢山ありそうなメラトニン、実際に薬としても精製されて販売されていると言いますが、副作用もあるというのです。
メラトニンは、性腺を退化させるのだと言うのです。
面白いですね。
ちゃんと性の力に話が繋がってくる。
しかも、精の退行に繋がっているというのです。
愛欲を断つことにも通じるでしょう。
この辺りが、やはりいまどきの言うだけただのオカルトやスピリチュアルと、本物の伝統思想がまったく違うところです。
当時の人達からすれば、これらは最先端の科学であって、あくまでオカルトや信仰をしようとしていた訳ではないのです。
当時の医学であり、療法でもあった。
それらを経験則と分析で体系づけた物がこういった正統な伝統思想の行なので、あとから科学的に証明が可能なのであった、と解釈することは出来ないでしょうか。
少なくとも、私のアプローチはあくまでそこにあります。
その上で、このような答え合わせが出来ると、非常に嬉しい気持ちになります。
自分は道を誤っていなかったのだと感じられます。
それつまり、これを人に伝えることが正しく、意味があるということです。
この基準をそこなうと、たちまちに人をだまして道を誤らせるという大衆の扇動者になりさがる。
そのような人々がどれだけの危険で愚かしいことをしたのか、我々日本人はよく知っているはずです。
不思議なことに、あの後にさらに世相が悪くなったせいか、人心はより安直な癒しのような物に飛びついて物を考えないと言う傾向が強まったように思います。
そこには行の基本姿勢が存在しない。
迷妄で自分に嘘をつくことで己を甘やかして悦に入るというような物が行である訳がない。
本物を学ぶには、常に公正さが必要になるように思っています。
そのために、どうしても学ぶ者を選んでしまう。
これは釈尊が悟りを開いたときに「あ、無理、これは自分には出来たけど他人には無理だから教えないようにしよ」と言ったことからも分かります。
また、このような身体行による教えはタントラ、すなわち密教とされて、余人が真似をすればかえって悪いことになるので秘匿された秘密の教えとされてきました。
残念ですが、万民を救済することはできません。
救われるのは、自分で自分を救える人だけなのでしょう。
そのような素養のある人々が、本物に触れることは可能性としてとても少ない。
でも、私がしているこのようなささやかな仕事が、いずれそのような心ある人々にとっての何かの地図のような物になればと思ってこういった活動をしております。