内外合一と前の記事に書きましたが、この言葉を言われた老師曰く、それは三節の一致だそうです。
根節、中節、梢節を一つに用いることです。
これは身体の根っこ、半ば、末端を一つにする、というほどの意味でしょうが、解釈によっては全身を鞭うたせるような使い方も慣性の連絡としてこの言い方でも言えるでしょうし、また瞬発系も同じくタイミング的な一致として三節の一致といえるかもしれません。
このように解釈の幅が多い言葉ですが、私の学んだ解釈で言うならば、それは整勁による全身の物理的な一致です。
常に言っている勁力の鉄球という理論であり、また、それこそが回族心意六合拳で言う「渾身拳」であると考えるのが自然だと思います。
この全身を勁力で一つのものにするということを、少林では膜という言葉を使って表現しています。
全身を、勁力の膜で包んでしまう。
たとえるならそれは、風呂敷で包まれたおせちの重箱です。
風呂敷が勁、重箱が骨格です。
世の中の多くの格闘技や武道では、この風呂敷が無い。
それは例えるなら、昔のドラマ(月曜ドラマランド? 古い!)に出てきたお蕎麦屋さんが積み重ねているざるそばのような物です。
たしかにきちんと積み重なっていますが、バランスで保っているだけで、強い衝撃が加わるとバラバラになってしまう。そこでバランスのとり方が技術になっていくのだと思います。
丈夫な風呂敷でがっちり縛れば、それとは別の発想となってゆきます。斜めになっても大丈夫(斜中正)。
この風呂敷の結び方、調達の仕方が練功法です。
バランスを取ってはいけません。しっかりした風呂敷を織りあげてゆくところに、我々の武術の要点があります。