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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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ブラック校則と凡庸な悪

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 先日、ブラック校則という概念に関する専門家の人のお話を聴きました。

 そこで知ったのですが、現在校則というのはものすごく変化している最中で、これはまさに熱々のトピックなのだそうです。

 元々、校則と言うのはそんなに厳しい物ではなかったのだと言います。

 しかし、我々より少し年上の世代、ツッパリ全盛期と言われていた校内暴力の時代が80年代にあって、そこで生徒たちを抑えるための策として生徒を縛るような校則と言う物が制定されるようになったのだと言います。

 確かに、当時は校内にバイクで走りこんだり、教室でシンナーを吸っていたりとの混沌とした状況で、そのまま教師への暴力に繋がっていたので、学校側がある種の武装をする必要があったことは頷ける次第です。

 最近、有名なセルアウト放送作家の仕事の生でツッパリというのは90年代にまで居たかのようなことになっていますが、それは完全な歴史改ざんです。

 80年代半ばにはすでにツッパリや校内暴力と言う物はほぼなくなっていました。

 生徒を取り締まる校則が功を奏したためだと言います。

 実際、当時のビーバップ・ハイスクールなどを読むと、校内暴力期の「番長」「スケバン」「応援団」なんてものはとっくにないと主人公たちが大人たちの時代錯誤を笑い飛ばすと言う描写が多々見られます。

 三年しか校内に居ない生徒たちと、何十年も学校の中だけで生きる教師たちの間では時間の流れの差異が大きいのだと思われます。

 ツッパリによる校内暴力が終わって学校が良くなったのかというと、そんなことはなくて、代わりにイジメの時代がやってきて今にいたります。

 要は、取り締まる校則が厳しくなったために問題が陰湿化して地下に潜ったということでしょう。

 ツッパリはヤンキーになり、スケバンはコギャルになってゆきます。

 硬派や武力至上主義は姿を消して、ファッション性が強くなってゆく。

 バイクは誰も乗らない物になっていって、興味の対象はインドア化して行ったように思います。

 こうして生徒たちはどんどん変質して行っているのに、上に書いたように教師の側は相変わらず80年代の頃のままの方針を貫いています。

 彼らはずっと学校内で人生を送っていて実社会に出ていないので、世の中の変化を理解することが苦手なのではないかと思われます。

 そのように変化の乏しい学校体制側ですが、当然COVIDの影響を受けることになります。

 服装やマスクの着用など、必要に応じて変化を受け入れる体制が出て来て、一気に校則が緩んで生徒たちの自由化が進んだのだと言うのです。

 このニュー・ノーマル化へのパラダイム・シフトの陰に居るのは、実は地域社会なのだとこのお話をしていた専門家の方はいいます。

 そもそも、なぜ校内暴力がなくなって学校側が自衛を必要としなくなった後も校則を厳しくし続ける必要があったのかと言うと、これが地域社会の仕業だと言うのです。

 例えば放課後に、生徒がはしゃぎながら歩いていたとして、それが耳障りだと感じた老人が居たとします。

 すると、学校に苦情が入るのだと言うのですね。

 もう、あらゆることであらゆる苦情が常時入るのだと言うのだそうなのですけれど、これ、完全にクレーマーです。

 理由なんてない。ただの何にでも嫌がらせをするのが生きがいの気の狂った人がどの町にもいて、毎日のルーティンとして無抵抗な相手に嫌がらせをしているだけです。

 本来なら、具体的に問題があるなら個別の事象ごとに対象の生徒ないしその家族に苦情が言って個々に解決に臨むというのがあるべきことでしょう。

 しかし、それはしないで学校に不特定対象の不確かな情報でクレームが入る。

 それに対して社会経験のない教師側は唯々諾々とうのみにして生徒側への締め付けに反映させてしまう。

 完全に窓口が間違っているのですね。

 COVIDが社会に蔓延したとき、この地域社会のクレーマーたちが一斉に目標をドラッグストアやスーパーに変えてそちらに殺到しました。

 その結果、学校側への攻撃は無くなって、どんどん校則は緩んでいっても近所からの「通報」は入らなくなったのだと言うのですね。

 もちろん、それで生徒たちの行動が悪化したという話はありません。

 元々、取り締まられる側の生徒には実態が無くて、初めから学校と地域社会の間の問題だったのだ、というのがこの専門家の方のお話でした。

 実に画期的な視点でした。

 このように、お互いを監視して生きづらくさせる世の中と言う気風を作ったのは、資料をあたるにどうも聖徳太子らしい。

 そのようにして、管理側に都合のよい監視社会を作ったのだそうです。

 私の好きなある社会活動コメディエンヌは、校則に縛られて育った子供たちは確かに自分の頭で物を考えたり、自己尊重をしたりするのが苦手になっていると言っていました。

 このような子供たちが一定の年齢になったときに、高い確率で地域社会のクレーマーになるということは容易に想像が出来ます。

 生きづらい社会の円環構造。

 そしてなぜ、このように学校側と言うのは地域の監視者に弱いのかというと、これが教師と言う物そのものが、過剰労働と非生産性が当たり前になっている、抑圧性の高い閉鎖社会で暮らしている人達だからであるようです。

 このような構造が、社会の大衆性、反知性主義を形成する根底にあるように思われます。

 教育の場が反知性主義者を作っている。

 日本社会の指し示していた方向性が良く見えるという気がして仕方がありません。


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