猴拳のお話の続きです。
前回までは猴拳とはどのような物であるのか、ということを書いてきました。
これが、実は中国武術史で極めて重要な物であると言うのは、回族武術の中で重要な位置を占めていることでもうかがえます。
また、卑俗なことではありますが、中国では「実戦なら通背拳」とも言われていて、特に知られています。
これは、仏教系の武術が行の側面が強いのに対して、回族の武術としての生の実用性が特に前面に出た物であるといった事情があるのかもしれません。
また、抗日戦においては彼の通備門が振るった苗刀もここに繋がりあり、またゲリラ戦によって日本兵を苦しめて「飛賊」と呼ばれて劈卦門の老師は、老師の門の二代ほど前の先人となります。
通備門は国術館の武術にもなり、劈卦門と苗刀が含まれているので、ここで、老師の継承された二派の武術のルートが流れとして繋がってきています。
これは清末に一大隆盛期を迎えた中国武術が民国初期に昇華された姿であるとも言えるので、その骨子の一つとなった猴拳が中国武術において極めて重要な存在であることがうかがえるかと思います。
この猴拳、中国での風評でもわかるように、とにかく激しい。
身体全体を易筋で引き延ばして全身で振るうというような使い方をするので、心肺系も疲れるし遠心力で物理的な力が極めて大きく出るので、少しづつそれに合わせて身体を作っていないと軟組織を傷めることが容易に想像できます。
私の知っているある先生も、一度うっかりやり方を間違えて肩を痛めたと言っていたと記憶しています。
激しい拳法なのですが、中国拳法なのでやはり方法論で行うのではなく、練功と功夫を重視して段階的に行わないと自爆します。
中国武術全般、素人の身体で技だけ真似するようなことは決して出来ません。
私自身、そのことをよく意識して、老師から基本拳の教授を受けていました。
身体を壊さないように、少しづつ練功して身体を換えてきた訳です。
いきなりやれば身体を壊すようなことでも、少しづつなら身体が開かれて伸ばされてゆくので健身効果があるはずです。
そのようにして十か月近く、練習の基本の一つとして猴拳の基本功や基本拳を日常に取り入れてきたのですが、ついこの間、レッスンのある日の朝に老師から連絡がありまして、今日は猴拳をやるよとのお達しがありました。
そして、入門套路の教授が始まったのです。
これが、やってみると実に感動がありました。
まず、非常に中国武術らしい。
私がいままでやってきたのは、割と独自性が高いレペゼン系の物が多い。
レペゼン広東南拳と言った感じの蔡李佛や、客家拳、鶴拳類の総合的な態のある五祖拳など、あまり他のカテゴリーの武術と共通性がありません。
心意に至ってはもう、外形は他の何とも違うように見えます。
しかし、猴拳はザ・中国拳法と言った感じで、かつ同時に何にも似ていうると言った感じです。
形が大きいし使う勁が違うのでやってみるまでは気付かなかったのですが、招式は実は心意と本質的に同じです。
また、説明を受ければ、靠や身体での摔が含まれており、離れて良し、近づいて良しで実に用法が完成されています。
歴史的にだけではなく、中国武術の外動をもってしてもそのど真ん中にあるのではないかと言う感じがします。
これはすごい武術です。
套路の構成も、これまでやってきた単式の基本に独特の歩法を組み合わせた物で、門としての完成度もうかがえます。
多くの武術の動線はまっすぐで行ったり来たりや斜めに向いて又まっすぐ、というのが多いのですが、これは螺旋を描くような軌道があったり実に巧妙です。
そしてかつ、内運も心意の段階に上ってゆくのですから、台湾の先生が「劈卦掌をやっているなら八卦掌をする必要はない」と言われた通りだと感じられました。
それだけの高等な内容もありつつ、実戦で名を馳せており、歴史上にもその事実が残されている。ものすごいことです。
私自身、一発で夢中になってしまったのですが、いや困りました。
これ、私の年齢ではおそらく突き詰めることは出来ないでしょう。
ものすごく良い物ですが、私にはインドからやってきて仏教圏に入り、海賊武術として発展した中国武術のルートを研究し続けるという仕事があります。
そのためには、行けるところまで五祖拳を追求しなければ。
そのかたやで、これだけの内容のある猴拳をどこまで追求できることでしょう。
これは段階的にも完成されている物なので、もし若い人がこの道一本に身を置いて、まずは実戦のものすごい威力と豪快な精神を担いで人生を共に歩むとしたらと想像するだけでわくわくするところがあります。
さぞや素晴らしい人生になるでしょう。
私には、その時間と力が残されていないように思います。
ですので、これを本門とすることは残念ながら不可能であるように思います。
しかし、北部の名門武術として中国武術のど真ん中のこれを併修して参考に出来ると言うことは、私の学門にとっても非常に重要な物になることは間違いがありません。
いやぁ、また素晴らしい宝に出会えてしまいました。
すごい人生だなあ。
私は本当に、奇跡の生を生きています。
出来ればこれを、心ある人にお分け出来れば最上なのですが、誰もがこのような奇跡がある物だと思って踏み出せるものではないのでしょうね。
私の、プライヴェートでのニックネームはジュジュと言うのですが、ある友人が私をジュジュ・ザ・スカイ・ウォーカーと名付けてくれたことがありました。
空を歩むものということだそうです。
空を歩もうとして一歩を踏み出すような人間は、そうそう居なくても不思議なことではありません。