先日、懸垂で力を使い果たして寝込んだと言うお話を書きました。
あんなことは初めてでした。
そして、もしかしたらあれは懸垂は累積的な引き金の一つであって、本質は別の所にあったのかもしれません。
懸垂の記事の少し前に、バンダについて書いていました。
おそらくは、それによって内側の換勁が進む体内の工事の時期であったことに加えて、老師が与えてくれた龍の背骨の「これらを毎日百回、十日もやれば身体の内側が解けてくる」という練功法の成果が重なりあった結果だったのではないかといまは思っている次第です。
倒れ直後から、身体の中の胃、腹直筋、下腹部の辺りが筋肉痛のような痛みに襲われていました。
これは、身体の内側のそのラインの膜が使われて疲労していたからだと思われます。
バンダについて書いたときに、その三つの輪を繋ぐ縦のラインがストローのようになっている気がする、と書きましたが、まさにそのラインです。
そして面白いことに、翌日から血圧が劇的に低下したのです。
上が110台、下が70台。
平均より少し高めだった私の血圧が非常に優等生な物になっています。
確かに、老師の言葉の「内側が解けた」という表現にも合う気がしますし、例のストローの開通によって体の通りが良くなったのではないかという気もします。
さらに面白いのは、これによって五祖拳の勁が完全に心意化したことです。
形骸や細部においては違う処があります。
しかし、着地点が同じになりました。
非常に強力な整勁が獲得されました。
試しに心意をやると、今度は心意の抖勁がきれいに繋がっていました。
あぁ。
すっとしている。
明らかに、これは、向上しています。
功が上がっている。
通りが良くなり、集まりも良くなっています。
これは、ちょっと仮説なのですが、大師が言っていた中脈かもしれません。
中脈は奇経八脈の一つで、気功の練功によって開通するとされています。
一般的な気功の概念ではそうではないかもしれませんが、大師の気功では脈の活用に、意ではなくて勁を用います。
ですので、武術の練功が階梯として非常に重要になってくるのです。
なので、脈が開通すると言うことは体内に大きな勁のラインが開設されたということでもあります。
当たり前なのですが、気功と武術は繋がっているのです。