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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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パンとサーカス

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 このところ、ここでの記事で解禁した言葉に「愚民化政策」と「自己愛性人格障害」「集団的ナルシシズム」という物があります。

 これはつまり、私の史観として、戦後民主主義は明確に(必要あって)戦中と同じく人間を管理しやすいように愚民化政策を敷いてきたのですが、その引き際を見誤ったためにあまりに長く愚民の世代が続いてしまい、もはや大衆を管理する側も愚民になってしまい、この国にはそれぞれの大衆が自己の感情だけを中心としたナルシシズムの国になってしまって地盤沈下をしているという見立てに由来します。

 本来、教育の大きな機能であったはずの物を考える力の獲得を巧妙にスポイルして、思考能力や知性と切り離した単なる知識だけを与えると言うものすごく労力の居る政治方針によってこの現状は形成された物だと思われます。

 結果、官僚も医師会の会長も緊急事態下において会食をし、支持を集めていた地方知事もバーベキューをし、若手政治家はポピュリズムに走り首相は一切会話をしないまま月日を費やしているという恐ろしい機能不全を起こしています。

 しかし、その体制を打破し改善すると言うベクトルにも民間の力は至りません。

 それは恐らく、官民すべてに行き渡ってこの愚民化政策が成果を及ぼしている結果でしょう。

 誰もが個々人の感情だけのに専心してバラバラに動いているので、大きな力が生まれえない。

 これが愚民化政策の目的です。

 個を個のまま分断させておけば、知性を持って力を合わせることの出来る管理者が圧倒的に強くなれる。

 本来、少数の来訪者であったはずの西洋人が、なぜインド亜大陸やアメリカ大陸を侵略、支配できたのでしょうか。

 現地人が本気を出して怒り狂えば、いかに火薬の力が在ろうとも人数において圧倒的に劣る入植者など瞬時に殲滅出来るはずです。

 それをさせないために用いられたのが愚民化政策です。

 人々をバカにしてしまえば、対話が成立しないので協力し合うことが出来ないので対抗勢力としてまとまることが無い。

 少数による支配が可能です。

 スペイン入植時代には、アフリカから連れていかれた奴隷の人達は、違う村、違う国の人達同士がシャッフルされて1単位とされていました。

 違う言葉の人達を一つの小屋で暮らさせることで、会話が通じない環境にしていたのです。

 中国に対しては、アヘンが用いられました。

 沢山の国民が麻薬の迷夢に耽溺して現実世界に興味を持たなくなってしまった。

 このやり方はずっと続いています。

 いまでも南米では合衆国が送り込んだ麻薬と火器によって麻薬組織が大きな力を持っていて、各国政府がまとまって機能することが出来ません。

 その影響を避けえた産油国家は共産陣営に加わって難を逃れる可能性がありましたが、石油経済制裁を直撃されて国家経済が破たんしました。

 北米合衆国のアメリカ大陸支配は当分安泰です。

 このように強力な支配力の底支えをする愚民化政策は、それではいつから始まったのかと言うと、これがなんと古代ローマからだと言います。

 西洋人のもっとも規範とする時代です。

 つまりは、西洋文明の根本がすでにそこによって支えられていた。

 この知性を表現する言葉として「パンとサーカス」という物があります。

 私はサーカスという言葉の響きから中世以降のフランスを指して使われるようになった言葉だと思い込んでいたのですが、サーカスと言う言葉がおそらくは意訳で、この言葉自体は古代からあったのだというのだから、そもが人類文明の基本が愚民化政策にあったと言ってもいいような気さえします。

 パンとサーカスと言うのは、大衆には教育など与えずに食事と娯楽さえ与えていれば満足して無害なバカのまま労働力で居続けてくれる、という意味です。

 いままで私は何度も、オタクとオカルトとスピリチュアルは諸悪の元であり、そんな物で満足してブラック企業で働いてブラックな社会を運営してゆくのはいかがな物かと書き続けてきました。

 痛みを止めるだけのモルヒネは結局のところアヘンと同じ麻薬であり、本質的改善にはなりません。

 そして沈痛のための麻薬で痛みを胡麻化している間に時間は過ぎ去り、事態はどんどん悪化する。

 それでも、船頭多くして船山に上がるという言葉がある通り、有力な支配者が正しく全体を導けば多いな繁栄があるという意見に私は賛成です。

 ですが、すでにそのような優秀なリーダーが存在しないまでにこの国の愚民化政策は根腐れにまで至ってしまってます。

 すべての愚民がこの事態に加担した当事者です。

 なぜなら民主主義国家においては我々が主体だからです。

 そういう教育をされてきちゃったんだからしょうがないじゃないか、というのは理解できるのですが、だからこそそれをとうの昔に見抜いていたお釈迦様は「学問の道を歩め」と呼び掛けていたのでしょう。

 自分で自分を学ばせることだけが、この愚民化のループを破る唯一の道ではないでしょうか。

 このように、古代から人類史に繋がっている愚民化に警鐘を鳴らしていた物語が思い浮かびます。

 それは、旧約聖書のバベルの塔のお話です。

 発展しすぎた人類を牽制して、神は人類に罰を与えて、彼等から共通語を奪いました。

 そうして意思の疎通が出来なくなった人類は、協力し合うことが出来なくなり、発展することを阻害されたと言うお話です。

 我々は、まったく同じことを人為的にされてきました。

 自ら学ぶことによって、人類が太古から縛られているこの呪いを解くことが可能であるかもしれません。


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