先日、老師から五祖拳の手を握る動作の遣いとして「握る時は鉄の球を握りつぶすように」と指導をいただきました。
「ゾウ」と言われていましたから「抓」、あるいは「爪」という名の動作だと思われます。私のウルトラ片言中国語力ではその辺の微妙な差異は聞き取れません。
こうして強く握ると言うと、いかにも握力を強めるハンドグリッパーなどで鍛えたような力のように思ってしまいがちですが、中国武術の「抓」となると違います。
詳しいやり方を教わりました。
これは未経験の人には難しい。
私も教えを乞う時は可能な限り真っ白な状態で言われたことをやってみるのですが、確かにちょっと複雑な、精妙な内運が求められます。
教わってから数日して気が付いたのですが、そのやり方、昔から教わっていた鷹爪功のことだと気づきました。
安易に同一視しては大間違いの元で危険なのですが、おそらく間違ってないように思います。
これは多くの中国武術で広く行われている功であり、非常に重要な物です。
格闘技的な浅い解釈で表層的に受け取ると、鷹爪功と言うと相手をかきむしるなどと解釈してしまいがちですが、そうではありません。
この練功法で養われる把力と言われる力は、用勁の基本とも言うべきものです。
指を操作するのは前腕の腱です。
すなわちこれは前腕の練功となります。
前腕とは少林武術の身体観でいうなら前足です。
前足の中でも、足の裏とふくらはぎということになります。
中国武術の魂が宿っているとさえ言われる部分です。
これによって地面の力を借りる定力の入り口が成り立ちます。
前腕と手は相手との定力を求められる、地面の力の出口とも言える場所です。
五指はそれぞれ表と裏で一つづつの経脈の末端となっている部分です。いわば全身の経脈が行き着いて一つにまとめられる場所が手です。
その働きを鍛えないと。
単に握りしめる筋力を機械的に鍛えると解釈しては味道が少ない。
このようにして作られた力を把力と言いますが、この把とは中国武術では一つ一つの技を意味したりもします。
また、心意把と言うように用勁の中核を示す物の名につけられたりもします。
孫禄堂先生の著書によると、本来の化勁とは相手の内側を把して中和する力だとあります。
これを高めるためのよい練功法に、兵器の練功と鉄棒があります。
これらを単に戦うための練習だと解釈したり、また西洋的な筋トレだと解釈するとやはり得る物がとても薄い。
正しい練功法を本質の構造に則って行って初めて中国武術です。
中国武術は筋トレはしない、などと誤った認識の薄い知識を崇め奉っていては到達することはできません。
西洋的な筋トレでは無くて、中国武術の中にある練功法で換骨、易筋、洗髄をしてゆくというシステムが確立されています。
それを与えられていない人は、まぁ先生に教える気が無いのですよ。それは。
だからと言って真実の普及を阻止するようなことをしてはいけません。
正しい心で広く視点を持つことが真実に向かうには必要です。