よく、筋トレで付けた筋肉は使えない、なんて訳のわからないことを言う素人がいますが、私にはコンプレックスの塊で努力が出来ない人間のいい訳にしか聴こえません。
私は格闘技育ちで、身体がまったくない非力な人間でしたので、体格と言う物の優位が実によくわかります。
単純に、鍛えている人間は圧倒的に強いし、自分より軽い人間には比較的簡単に勝つ方法があります。
まともなぶつかり合いを考えるなら、筋力も筋量も非常に強力な物となります。
使う用途が違うだけで、何にも使えない筋肉なんてない。
現在の私はウェイト・トレーニングはしていませんが、中国武術やアジアの身体操法に伝わる身体の練功法を日々行っているので、細部においては違っても大枠で違うことをしているとは思っていません。
ヨガも気功も種類が違うだけで肉体のトレーニング、体操です。
私はウェイトではなくそういう物をやっていることで中国武術を学び続けています。
筋トレを否定するというのは結局、辛い練功をしたくないがための逃げ口上でしょう。
そう言った手合いの中には特定の例を挙げてそれで使えないなんて非科学的なことをいう人も居るけれど、実に愚かしい。
その上でこの動画。
この素敵な女性はミスター・オリンピアの女性の部に出場していたりフィジークの試合で一位になったりしている人です。
でも、面白いことに懸垂は出来ない。
人間にはそれぞれ体質があるし、筋肉にもタイプがあります。
そういう個体差を理解できない人間が愚かなことを言い出すのだし、果てには多様性を認めないファシストになるのでしょう。
身体の個体差を認めないというのは、肌の色の違いや人種の違い、性認識の違いを認めないということに繋がるのではないでしょうか。
そしてそのみすぼらしい精神性は自分自身に向かって行き、コンプレックスの塊にして、努力することさえ出来ないようにしてしまうのではありませんか?
個体それぞれに能力とは違う物です。
一列にしようというファシズムがコンプレックスを作り上げるのでしょう。
現代キャリステニクスの一人者であるポール・ウェイド先生が書いていたけれど、アメリカ海兵隊にすら、懸垂が出来ないマッチョは珍しくないそうです。
アメリカ海兵隊ですよ?
フィジカル的に弱い訳がありません。
筋トレを否定して自分の弱さを保護したいと言う人たちは、そういうった兵隊さんたちにも「ほら見ろ、お前の筋肉は使えない筋肉だ」と言うのでしょうか?
戦場で使うための肉体を朝から晩まで鍛えている人たちの身体を?
大男が懸垂が苦手だと言うのは、単に筋力と地球の重力のバランスが違うと言うだけのことです。
この例とは逆に、懸垂が強いキャリステニクス系のマッチョを、小さくて細いと言う人も居るそうです。
これも同じことです。地球のGと自重のバランスの問題にすぎません。
小さいころには誰にでもできた雲梯は、大人になると非常にキツイものですよ。
ためしに片手だけでどこかにぶら下がってみるとよい。大人になるとびっくりするくらい出来ないものです。子供の頃は当たり前にやって遊んでいたことなのに。
この意味で、おおむね男性より女性は懸垂が強い傾向が強いと私は思っていました。
自重が軽いからです。
あと、腕の骨格も関係しているように思います。
えてして女性は前腕に比べて上腕が長い傾向があるように思います。
逆に、女性は腕立てが弱い。
ウェイド先生は、男性は押しのける本能があり、女性は抱きしめる本能があるからだという見解を示している。
確かにそういう脳の構造からくる神経系の発達はあるかもしれません。
東洋の身体観では、女性の気(力)の流れは陰に属していて、下腹部から身体の前面を通って頭頂から背中におりると言います。
逆に、男性は下腹部から会陰部を通って背中を登ってゆきます。
この流れの結果、女性は引く力が強く男性は押す力が強いということが言えます。
そういう観点からの分析でも、この女性は例外的で実に面白いサンプルだなと思いました。
女性で筋肉の専門家なのに懸垂が出来ない。
そうしたら面白いことが分かりました。
この人、170センチ越えの長身なのです。男性並みにある。
だから一般の女性の基準とは違う訳です。例外にはちゃんと例外の理由がある。
こうやってね、、きちんと調べれば見えてくる物があるのですよ。
そのような部分にきちんと踏み込むのが真摯な中国武術や身体操法の継承者の視点でしょう。
でも、日本では長いこと中国武術はひ弱でコンプレックスの強いオタクの余技であるというのが現状で、身体の学問であるという面に関してはまるで理解されていません。
本来は長い期間かけて研究されてきた東洋医学のアプローチからの身体観こそが重要なのに。
身体を造り変える練功法のカリキュラムが中国武術においては非常に重要です。
それを行う易筋行、洗髄行というのが、少林武術の中核だと言う説も中国では当たり前に通っています。
実際、現地の武術家にはこわもてのマッチョも多いというのに、日本人の中国武術愛好家はひ弱なオタクが多い。
でも、昔はそれらの身体改造に関する中核の部分は外国人には中々教えてもらえなかったみたいですから仕方ない部分もあるのでしょう。
本当のことは中々教えてもらえないものです。
K先生の訳してくれた拳意述真にも書いてあります。
大切な物は真伝、愛惜、恒心だと。
愛惜とはいつくしむ心。
恒心とは揺らぎない心のこと。
コンプレックスまみれで真実に向かわない心では、功夫の入り口に入ることさえ出来はしない。