ここのところの練習会を見ていたドクトルが「動きを見ててもどの筋肉を使っているのか分からない」と言いました。
本人は「整勁外科では無いのだけれども」とは注釈していましたが、それにしてもまぁ見えないものだと不思議はないのだと思います。
練習会参加者の男性も「いつも言っている立つだけだと言う意味が分かりました」という声も、功のある方々からよくいただくものです。
これは、運動に伴う力とはまったく違うものなのです。
見えない力、暗の勁、そして最近よくいう、あの秘伝の力です。
その秘密の力とは、座禅と対になっていた功の力であり、すなわち座の反対、立つことの力です。
見える動きによる力なら、すべては間違っています。これは私が誤った解釈をしてしまうみなさんにいつも言うことです。
そういうことは一切しない。まずとにかく立てるようになることです。
私も傲慢な頃には、他のことをしている人たちの動きを見るたびに「なんだよ、立ててねえじゃねえか」「基本ができてない、話にならないよ」などと思ってしまっていましたが、しかしそれはまぁ偏った見解です。
大画面で映画など見ていても、役者さんの立ち姿によっては「あ~あ~」と思ってしまったりしました。ひどいものです。
マラソンの選手が他のスポーツの選手に「走り込みが足りない」と言っても、ボディビルダーが「筋トレやりこんでないな」と言っても仕方がありません。それと同じで、これは特化なのです。単純にこの力が、異常に立つことだけに集約された特殊なものなのです。
ただ立つことだけを追及して、きちんと立てる人間を目指す。
それによって、ただそこに在るだけという境地を目指すための行だと思います。
立つ力そのもので打つ。まずはとっかかりとしてそこから練習をしています。