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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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洗髄とフィリピン武術と瞑想と借力 1

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 元々、色々な武術、武道、格闘技を経験してきましたが、中国武術に入るに当たってそのほとんどを捨てました。

 一つだけ残したのが、フィリピン武術です。

 これを初めて経験したのはもう25年以上前。ミズリのセント・ルイスででした。

 日本に帰ってから改めて初めてもう20年以上になります。

 中国武術より経験が長いのですが、なぜこれを残したのかと言うと、そこには瞑想の要素があると感じていたからです。

 後に、フィリピン武術にはクエンターダという相手の動きを感じとるという要素があると言うことを知りました。

 これ、技術的にどうこうと習ったことはありません。

 でも、グランド・マスタルと自由に打ち合う練習をしていると、すべて動きの裏に入られて打ち込まれます。

 例えば私が相手の左のこめかみに打っていたら、その攻撃が終着点に届く前にはすでに避けられていて、向こうの攻撃が自分の死角となる右肩越しに右目の横に届いている。

 慌ててそれを避けながら相手の右脇を払いに言った頃には、今度はそれを抑えられて左の首筋に得物が添えられている。

 その繰り返しで、何度やってもみんなこちらの攻撃が終わる前にはすでに死角からの攻撃が触れているということが延々くりかえされてしまって、何をやってもピタリピタリとこちらの死角に入られて打ち込まれてしまっている。

 後から高速で動いて打っているとかそういうことではないのです。

 すべて自分の攻撃の裏拍子に入られてしまっている。陰に入られてしまっている、というような感じです。

 この要素には、中国武術で言う洗髄を観ることが出来ます。

 洗髄と言えば心意拳類に言う三歩の功「明勁、暗勁、化勁」の三段階で言う処の最後の段階です。

 しかし、もちろんフィリピン武術には前の二歩の勁がありません。

 ですので、これは一足飛び、というか二足跳びに最終段階に至ったと言うことはできないかもしれません。

 ですが、化勁とは武術を通して瞑想に至った状態なので、武術としては足りていなくても、この段階に至ることは禅としては大きな意味がると言えます。

 よってこれを求めるのは善いことだと思われるので、私も公開して伝道活動をしている次第です。

 このような練習をして居るときに、ある生徒さんが「太極拳の推手みたいですね」と言ったことがありました。

 すぐになんでも他流の〇〇みたいですね、などと言い出すのは真実を求める身としては非常にダメダメで、そんな情報だけを消費するオタクみたいなことを言ってる暇があったらもっと自分事として練習から実を獲得していないといけないのですが、確かに太極拳の推手と言うのが元々はそのようなことを求める練習法であったとは思えます。

 と言うのも、推手をして養うのが化勁であると言われているそうだからです。

 この、化勁と言う言葉が心意拳類の悟りの段階である「化勁」の誤用であると言う記述はK先生の書籍より以前引用しました。

 おそらくは元々、この練習で力の流れを作って感じやすくし、その中での調和、中和の体験を繰り返し行うことで識の訓練になる、ということがスタートだったのではないかと思われます。

 しかし、以前にも書いた通り、パラダイム・シフトによって太極拳が現代武道化し、格闘技路線に向かった段階でこのコンセプトは変化して行ったのではなかろうか仮説しております。

 参考として、我々は一つの動画を観ることが出来ます。

 それは以前も紹介した、ホリエモンさんのような視点で中国武術を語るユーチューバーの人によってです。

 正直、彼の実技は私はまったく良い物だと思わないし、私見として話している内容も真伝を得ていない人の物なのだろうなあという印象があります。

 また、語る内容も雑で人の名前や内容を取り違えた形でエピソードを紹介することも多い。

 しかし、この人の話には二つ面白いところがあります。

 一つは、経済、政治のいわば経営の視点で武術を語るところです。

 いかにもこういう手合いの人らしい視点での話であり、その部分がすべてではないと思いながらも、一つの切り口として実に面白い。

 もう一つは、中国在住であるところから見聞したのであろう現地で伝わってるエピソードの紹介の部分です。

 ともすればただのゴシップでしかないのですが、これは現地で当人が聴く形でしか得られないお話なので、逸話としてとても面白い。

 この人のお話の中で、なぜ意拳が隆盛したのか、という持論の展開がありました。

 そこで語られていたのは、意拳はやはり権力との密着が上手く、マスコミを上手く活用し、自己宣伝とプロデュースに長けていたからだ、ということがあります。

 確かに、意拳はすごいと祭り上げられているが、誰もそのすごさを見たことが無いし、実際に何かした実績もない。

 洪拳や劈卦拳が抗日部隊を率いて侵略軍を撃退していたというような、歴史的功績がまったくない。

 倭寇も騎馬民族も撃退していない。

 意拳の風評と言うのはすべてマスコミによる印象操作がソースなのですよね。

 これは民国時代に彼らが新聞と直結していたからだ、と上のユーチューバーさんの話にあります。

 そこで何を宣伝していたのかと言うと、これが推手での勝利だと言うのです。

 はい、出ました、推手。

 この段階で、すでに伝統武術の時代から離れて新しい時代となっており、そこでは戦争や生の闘争での実績よりも、安全なパフォーマンスでの実績の方がビジネスには向いているということを太極拳の人たちは見越していたのでしょう。

 そりゃあ「さぁ、みんなも洪拳をやってゲリラになって帝国軍と刃物で戦おう!」と言われるよりも「太極拳で健康で強くなろう」と言われた方がやりたくなることでしょう。

 そのビジネス戦略に乗っかったのが意拳だと言うお話です。

 意拳は鶴拳類からインスパイアされたと言いますが、それはなぜかと言うと、鶴拳も推手(あるいはそれに似たこと)をするのですが、鶴拳はまだまだ侠盗やゲリラ戦士の海賊武術で、太極拳の一般普及向け推手よりもごつかったと言うのですね。

 そうなると、当然推手では有利になる。

 そこで意拳ではみんながやってる推手で勝てるようにそれを取り入れては、件のユーチューバーの先生曰く「太極拳をイジメていた」というのですね。

 そうなると、それをマスコミで吹き込まれた何も分からない大衆は「意拳は強い!」となってしまいます。

 その影響が今だに響いているだけだ、ということだそうです。

 これは非常に面白い。

 パラダイム・シフトの結果としても、大衆心理を観る視点からしても大変に興味深いお話です。

 私は以前から繰り返し「強弱勝敗に捉われていては中国武術はダメなんだ」と言っているのがこの部分です。

 中国武術と言いながら現代格闘技をかましてくるというビジネステクニックを使ってきた太極拳に対して、そのトリックに乗っかってアルティメットのメジャー選手が寸止め空手をイジメるみたいなことをしてきている訳です。

 強弱勝敗で言ってしまうと、そういう誤魔化しに重ねた誤魔化しで印象操作が行われてしまう。

 端的に言うなら「ガンジー、やられっぱなしでやんの。チョー弱ぇえ笑笑」みたいな話です。

 フィリピン武術がこれを避けられた理由については次回にいたしましょう。 

                                                                  つづく


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