ここで繰り返し、オカルトとオタクとスピリチュアルは現代日本社会の人心における諸悪の源だと書いてきました。
でも、私が行っているような気功や身体操法、中国武術の世界ではこれらの悪を求める人々が満ち溢れています。
アホか。
いや待てと、気功や仙道にはずいぶんオカルトじみたところがあるではないか、という声はあるでしょう。
だから私のところにそれらを求める人が来るのは当たり前だと言う話になりましょう。
そうです。
確かに。
だからこそ、誰もがそれらをやって、精神と神経を病むだけで何も出来るようにならないのです。
なので、当の指導者である私が責任をもってそういうのは全部ペテンだと言い切って迷妄を断つ責任があると考えています。
気功や練丹において、オカルト的なことがあるのはそれが単に古くて間違っているからです。
天文学においても史学においても、およそあらゆる学問において過去の歴史の中に誤った説や現在では覆されている説が定説となっていた時代があります。
私が子供のころには恐竜には羽毛なんて生えていなかった。
それと同じです。
ただそれだけのことです。
水銀を服用すれば不老不死になるなどと言う明らかな過ちは過去の間違った説であり、その信奉者が犠牲となったことで覆されてしかるべきでしょう。
もし、オカルトを信じる人はぜひに水銀を活用すればよろしいでしょう。
しないのは、本当は信じていないからでしょう。
ただそこに自己愛のよりどころを求めているだけです。
現実の世界に不安を感じて、その結果精神が不安定になっているからそのような迷妄にすがりつく。
水銀飲まないならきちんと目を覚ませばよろしい。
穏当派のオカルトとも言えるスピリチュアルも同様。
現代病の不安神経症を患った人々が迷妄のお題目を唱えながら群れを成して安心感を作り上げようと言う妄信に過ぎない。
そういうことで精神のバランスが取れればそれでいいではないか、そんなこと人に言う必要はない、という意見もありましょう。
でも、自分のおしめの世話が出来ない連中がスピリチュアルをあてがっている間はいいけど、そんな半人前がいっぱしの人間ぶって他人様にスピリチュアルなことを言い出すと、そこに欺瞞が生まれます。
ブラック企業もネットワークビジネスもダイレクトな詐欺も、みんなスピリチュアル大好きですよ。
人類がウィルスに打ち勝った証としてオリンピックを開催する、なんてのはスピリチュアル以外の何物でもないでしょう。
犠牲者はさざ波だ笑笑とか。
現実に生身の被害者と死者が出てるんですよ。
個人レベルでひそかな自分のリラクゼーションとしてしている間は害のない堕落で済むでしょうが、それが他人に開示された途端から罪になるという物が世の中には存在します。
マスターベーションをする人権はありますが、気に入った他者に一緒にマスターベーションしようと持ち掛けたらどうですか?
恐らくは有罪となる可能性の方が高いでしょう。
スピリチュアルってそういうことではないですか?
一見罪のないことのようですが、大きく言うと全然そうじゃない。
いま世間から振り払おうとしてSDG’Sが活動していることに立ちはだかっている衆愚制や愚民化政策、ポピュリズムなんてのはみんなスピリチュアルでなりたっている物ではないでしょうか。
スピリチュアルで自分は救えると思ってる人が多いのでしょう。
でも、そうじゃないんですよ。
それ、他人の犠牲の上に成り立ってるんですよ。
スピリチュアルじゃアフリカの子供たちは一人も救われないんですよ。
ちゃんと現実観て、しっかり分析してその結果に基づいた対策をしていかないと。
スピリチュアルな人ってのは結局、メンタルがヘラな人達な訳でしょう。
予備軍か、最中の人か、予後の人か。
以前、うつ病が小康期に入っていた友人が、座に居た一人が自分の悩みを口にしたとたんにサッと耳を塞いんだんですよ。
「私はうつ病だから人の悩みまで聴いてる暇はないの!」と言うんです。
彼女は明るい人なんでそれまでは病気を聴いていてもあまり気にしたことはなかったのですが、これを見て、あぁ、確かにかなりの病気だなと納得したと同時に、これは合理的な対応姿勢だな、とも思いました。
スピリチュアルと言うのは、この耳栓の役割をしている物なのでしょう。
世の中の苦しみや不幸から自分の不安を招かないために、聞こえない、見えないようにするための耳栓であり、アイマスクです。
誰でもそれを付ける権利があります。
でも、それの具体が「コロナはただの風邪だ!」や「マスクなんてしない!」と言う物になるとこれは社会悪です。
他人の実害を担保に自分の不安をかき消そうとしている。
自分のことしか考えられないんだな。と思います。
だからメンタルがヘラになるんですよ。
過多な感情と自己愛が病を育むのでしょう。
そういう物から人を救うために、理性と理と言う物があるのではないでしょうか。
私たちが気功や武術で瞑想をし、土台となる健康な肉体を養い、命を立てて生かすと言う道を歩むのはそのためです。
本当の安心を得るためです。
だからこのことを安心立命と言う。
惰弱によろめいて倒れる命では安心は叶えづらい。
そして、この道の過程で現実に目を向けて対策を考える。
私の師父が、功夫によって募金を集めて、カンボジアに小学校を建てるという活動をしているのを知ったときには初めは不思議に感じました。
しかし、オカルトやスピリチュアルの迷妄を離れて自分で自分を救える人を養うには教育を届けるしかないんですよ。
魚を与えるのではなく、魚の取り方を与えればその人は一生生きて行くことが出来る、ということです。
コンセプトは一貫しているのですよ。
自己愛にモルヒネを与えて肥大させるのではなくて、自分で自分を分析して、現実を観察して対策が出来る人間にしてゆくために、伝統思想という学問を活用しているのです。
上っ面の心地よさに溺れてただ甘やかに腐り果てていくような物を自分に与え続けるのは、非常に芳しくないこととなります。
はっきり言って、この世に生まれて幸せに生きられるかどうかなんて運だと思います。
アフリカや中東に生まれた途端に、ほとんどの子供の運命は決まる。
自分ではどうしようも出来ません。
少年兵として育てられる子もいるし、生まれつきエイズの子もいます。
最近、アフリカで食料の大規模掠奪が行われているというニュースを連日耳にしましたが、これは飢饉のため食糧不足が起きており、紛争地帯で少年兵の部隊が掠奪を行っているからだと言います。
飢饉の原因は、もちろん環境問題が絡んでいます。
環境を悪化させ、アフリカの食糧問題の原因を作ったのは我々先進国の人間ですね。
ファスト・ファッションの服や百円ショップの品物は、後進国の奴隷労働による搾取があって成り立っています。
アフリカの民族紛争はレアメタルの採掘に由来しています。
つまり、スマホもPCも彼らの犠牲の上になりたっている。
で、なに、スピリチュアルなの? それがお前の答えなの?
本当に、心の底から自分のことしか考えられないんだな、と思います。
こんなもん、たまたま運よく消費する側に生まれた側の人間が関心を持ってどうにかしようとしないで解決なんてしないですよ。
自分たちの消費の結果、環境破壊で発生したパンデミックに対して、さらにスピリチュアルを重ねていくとかもう完全に狂人のすることではないですか?
どれだけ自分だけが可愛いんだと思います。
その自己愛は確実に病弊として自分自身を蝕んでいることでしょう。
出来る人間が、なんとかしないと。
支払える人間が支払わないと。
いつまでもタダで安全だと思って無策で居るほど、危険なことはないということをいい加減今回のことで学ばないと。