この間、ラジオにあるヴァイオリニストの先生が出ておりまして。
私は不調法な物で全然音楽に明るくないのですが、この方は若い頃より音楽の商業化のような活動の先端に居られたかただそうで、音大時代に葉加瀬太郎さんをスカウトしていまの道へと導いた方なのだそうです。
彼と葉加瀬さんと高嶋ちさ子さんの三人でのライヴは大変な人気があるとのことなので、私以外の皆さんはご存知の方なのかもしれません。
この先生、いまは還暦なのですが、つい2.3か月前にヴァイオリンの弾き方について開眼することがあって上手くなったのだといいます。
普通は、プロでやっている人はみんな、元々弾ける人なのだ、とこの方は言います。
しかし、自分はそうではなくて後天的に学んで弾けるようになったと。
この差は、他人に教えられるかどうかに現れるというのです。
元から弾ける才能のあるプロの人たちは、初歩から他人に教えることが出来ない。
他人が越える壁の先からスタートしているので、その手前の段階のことが分からない。
けど、自分は学んで出来るようになったのだから人にもその方法を伝えることが出来るのだ、というのです。
これはですね、私と同じです。
私もなんの才能もない。
だから伝統武術を正しく学ぶことが出来たのだと思います。
自分の完成を求めていない。
そういう私心に囚われずに、教えてもらったことを出来るようにということをしてきました。
なので、自分が元々持っていたような物で応用したりせずに、どんどんそういう物は捨てました。
だから人にも教えることが出来るようになったのだと思います。
いまの世の中、誰にも教わらずに出来るようになったような人ばかりを讃えるような風潮がありますが、正しい物を教わって受け継いでいる人間には「個を超える」という部分があります。
これは自我を捨てたり、個を離れたりするという瞑想の物にはとても親和性が高いようには思いませんか?
禅である少林武術と言うのは、そういうことだと思うのです。