先日、ブラジルの阿闍梨が彼の地にて、なぞの先人の遺跡を発見したようです。
中華圏で出版されたと思しき少林七十二芸の本に、功夫雑誌の断片。
その雑誌の断片の方に、少林闘喇嘛という映画が掲載されていました。
おぉ、これは。
ラマやヨガと少林の関係とは私の研究の範疇です。
調べてみたらその映画「少林寺への道」シリーズの第四作目でした。
おぉ、あの功夫映画史に残っている名作の……。
と、いう訳で、この期に見ていなかった関連作品を一気見してみました。
香港映画と言うのは版権フリーで偽物だって作り放題で、なんなら本物の監督と出演俳優が偽物作ってる、とは昔から語られてきたことですが、いや、この精神はカンフー映画全般にも言えることで、正統な功夫映画と言うのは国籍問わず全体で一つのシェア・ワールドを形成している、というのが今回改めて感じたことです。
この、いわば民間におけるフォークロアとしての功夫観というのは、実は仏教法話や仙人伝説の末流であるとも言えるもので、かつて調査の結果、日本の桃太郎がインドのラーマヤーナのローカライズ民話だという記事を書いたことがありましたが、構造的には同様の物であると思われます。
元々唐の時代からあった少林寺の達磨伝説、金那羅王が現れて棍法を示したという伝説に、宋の時代の仙人である張三豊が少林寺で修行して後に道教を学んで太極拳を編み出したと言う説、またその異説である少林寺の小僧だった方世玉が太極拳を編み出したと言う武侠民話などを映像化したのがカンフー映画の始まりです。
そのような、一つのいわば「神話」を繰り返し映像化しているので、いくつもの作品に渡って同じ人物が何度も出てくるという訳です。
代表的なのは「もっとも沢山映画化された実在の人物」としてギネスに乗った黄飛鴻です。
一般の人に最も知られている彼の姿は、ジャッキー・チェン演じる「酔拳」シリーズでの主人公でしょう。
もっとも有名になってしまっていますが、このシリーズはいわば有名人のパロディ的シリーズで、一般的なイメージは「ワンス・アポンア・タイム・イン・チャイナ」シリーズでリー・リンチェが演じている主人公の方が近いように思います。
知らなかった皆さんも多いかと思いますが、あれは同じ人物です。
さらに言うと「燃えよデブゴン」シリーズの一つでサモ・ハンが演じているのは、この黄飛鴻の弟子です。
「ワンス~」のシリーズにも「シーフー!」「シーフー!」と主人公を慕って集まっている沢山の弟子の中におります。
一番年かさの、中年に差し掛かっていて番頭のようなことをしている大弟子がデブゴンが演じた人物、林世栄です。
この人は通称を林祖とも言われていて、黄飛鴻の拳法を広く世に広めた先生です。
世界中に沢山いる黄飛鴻の拳法、洪拳はみんなこの林祖の系統だと言います。
その元である黄飛鴻に武術を教えたのは、ジャッキーをビシビシしごくお父さんなのですが、彼も実在の人物です。
黄麒英と言って、動乱時の清朝で「広東十虎」と数えられた十人の名人の内の一人です。
私はこの人のことをとても尊敬していたりします。
この黄麒英に洪拳を教えたのは、と辿ってゆきますと、福建省にあった福建少林寺にたどり着きます。
この福建少林寺の由来はと言いますと、嵩山少林寺の武術を伝えた五人の拳師(南拳五祖、あるいは単に五祖とも)に遡るのですが、清の時代に強い寺社勢力である少林寺を恐れた皇帝がこれを焼き討ち、五祖は野に下って各地で反乱組織に教えと武術を教えたのが、民間に少林武術が広まったきっかけとなっている。というお話があります。
清と言うのは、ジンギス・カンの侵略から続いている騎馬民族による帝国軍の支配王朝です。
代々中華の仏教文化を支えてきた少林寺に関しては敵対要因があったわけです。
このようにして民間に、反帝国の武術として広まった洪拳に関しては、元々台湾設立の英雄、国姓爺こと鄭成功が清による中華侵攻と戦ってきた時代から抵抗の武術として調練に用いられていたという伝説さえあります。
このように、ジンギス・カンから鄭成功にまでつながる物語世界というのが功夫映画の神話世界であるということです。
そして、最初にタイトルを挙げた「少林寺への道」シリーズと言うのは、鄭成功の台湾で作られた、南少林寺が焼き討ちに至るまでのお話となっています。
だいぶ長くなったので次回に続きましょう。
つづく