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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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夏のキャリステニクス

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 日々の習慣としてキャリステニクスをしている訳ですが、いま数年掛けの目標としているワンアーム・プルアップ(片手懸垂)の練習は、夏場は出来なくなります。

 バーが汗で滑る。

 あるいは、片手でバーにグリップ出来ても、いま練習過程にあるアンイーヴン・プルではグリップした手の前腕にもう片方の手で掴まって体を引き上げるので、自分の前腕が滑って登れない。

 ですので、これはメニューから外すことになります。

 代わりに何を入れようかというと、アブローラーと逆立ちを投入することにしました。

 どちらももう、半年以上やっていない種目です。

 前者のアブローラー、実は以外に膝にダメージが大きい。

 そこで一度膝を大きめに傷めた時を境に、一休みとしていたのです。

 もう一つの逆立ち、これはポール・ウェイド先生の提唱するコンヴィクト・コンディショニングのビッグ・シックス・カリキュラムに準じたメニューで行います。

 壁を使った三点倒立から始まり、最終的には壁を使った逆立ち腕立て伏せ(ハンド・スタンド・プッシュアップ)に至るプログラムとなります。

 実はこの逆立ち腕立て伏せ、私は昔は出来たのです。

 いまより二十年以上前、レスリングで鍛えられていた時代に、一回だけは出来たのです。

 しかし、だからと言っていきなりそちらに挑戦する、というのではなんの成長もしていません。

 ゆっくりと、確実に身体の内側を作って行ってしかるべき時にそれが出来る道の途中に身を置くことが人生の指針となっています。

 無理くりたまたま一回出来ました、ということではなくて、安定した再現性があって初めて自分自身の成長を自認するということがあってこその伝統武術の継承者です。

 勝敗や成否ではなく、功夫の価値観に則った考えです。

 ですので、当然十段階メニューの下から自分の能力を照らし合わせて行ってゆきます。

 結果、いまの私の状態は第二段階目のクロウ・スタンドだと見立てての、今回の再開です。

 このクロウ・スタンド、ヨガでは烏のポーズというそうで、体操教室などではカエルの逆立ちと呼ばれる物だそうです。

 両手だけで自重を支えて、肘の上に膝を乗せて体制維持をする、という物です。

 ヨガ由来だと言うだけあって、功夫の練習でも行うことが多い物だそうです。

 これ、以前やっていたときは自分カウントで10数える程度しか出来ませんでした。

 いくら私の前腕が太めだと言っても、さすがに80キロ台後半を支えるのはしんどい。

 しかも、私は昔から格闘技でだいぶ殴られているので、バランスの維持は苦手な方。エレベーターでも酔うほど三半規管が弱い。

 そこで以前は、ふらついてもそこで中断せずに、頭を床につけてそのまま継続するカポエイラで習ったキャダジヒンという姿勢で継続をしていました。

 このキャダジヒン「江頭みたいな感じ」と教わったのですが、そういう奴です。

 手だけで支えられなくなっても、手力と胴体の膜を継続して鍛えるためにそうしていたのです。

 私たちは純粋に囚人筋トレとしてではなくて、その以前の功夫の練功として行っているため、膜を鍛えるということが重要視されます。

 膜で身体を支えるのです。

 今回も、初日にクロウ・スタンドをした時は久しぶりのためもあってすぐにバランスを崩して江頭さんになりました。

 しかし二日目、なんとバランスを取ることに成功して自分カウントで60以上の維持が出来るようになりました。NO江頭。

 長い間やっていなかったのにどうして成長しているのか。

 これは、その間ずっと、同じコンセプトで腱と膜、関節を育て続けていたからでしょう。残念ながら体重が軽くなっということはありません。

 同じ体重のままでも(あるいは増えていても)、その中身が自分を支えて操作するための東洋的な身体操法に則った身体に作り変えられ続けているため、やっていなかったことが上手く出来るようになっているのです。

 胴体部の膜が強くなり、前腕はより前足としての進化を遂げているので、こういうことがやりやすい。

 他の色々なスキルフルなスポーツに関してはダメですが、アジアの練功法に関しては一貫したコンセプトが通底されて居るために、こういうことが起きるのです。

 アブローラーに関しても同じでした。

 以前より強くなっている自分を感じられます。

 老師に与えていただいた、龍骨が生きているようにも思います。

 ただ、少し前にぎっくり丹田をやらかしたので、また再発させないよう、調子に乗らないでいきたいと思います。

 ちゃんと、信念を持って正しい道を歩いていれば、回り道をしても一見遠回りをしているように見えても、一つの方向に向かっている。

 目先のことに惑わされないことは重要であろうと改めて感じました。

 いつまでも道を行き続けること自体が在り方です。

 到着も完成もありません。


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