引き続き、五祖拳を練功しており、その要素の中でも大きな割合を占める白鶴拳を日々教わっております。
私は昔からこの拳に高い関心があったことは以前にも書きましたね。
その、関心を抱きながら手が届かなかった時代に、日本にも何人か白鶴拳の先生がおりました。
まぁトンデモないインチキな自称先生はともかく、きちんとした信頼できる先生もちゃんとおりました。
その先生はこの拳の継承者としては唯一と言ってもいいほどの有名な先生なのですが、実はそれとは別の先生も90年代に武術雑誌で白鶴拳の記事を書いていました。
その先生は、日本におけるウィンチュン(詠春拳)のパイオニアの先生です。
この先生の著書は実に誠実であり、当時功夫や詠春と言うとどうしても映画での知識から入ったミーハーな半可な情報しかなかったところを遠慮なくぶった切って真実を書いており、映画俳優やその先生の拳法だと言う先入観をきれいに断ち切っておりました。
とはいえ、いま又、中国のプロパガンダ映画の影響でまたその迷妄が世間に広まっているのですが、中国武術史における彼らの位置と真相はすでに全盛期の段階で日本語で明文化されています。
正直、私の武術における文脈をたどって自らの身体で学びながら発掘と研究をしてゆくという姿勢はこの先生の生き方からの影響もあるかと思われます。
しかし、やはり日本の中国武術草創期の先生方にはどうしても、時制的に報われない処があるかと思われます。
この先生は、恐らくは詠春のルーツを求めたのでしょう、白鶴拳を学んでその内容を雑誌で発表していたのですが、これが当時の私ですら失望してしまうような物でした。
「白鶴拳、これじゃ大したことないな」と思わされるに十分な内容だったのですが、同時に「これは白鶴拳がしょぼいんじゃなくてこの先生が間違って教わっているか、あるいは本当のことを公表してはいけないのでわざと嘘を書いているのではないか?」と思う部分も残っておりました。
それはずーっと私の中に引っかかったまま保留避けた懸案だったのですが、この度、自分が学んでいることでようやく明確に「あれは間違いだ」と言えるようになりました。
雑誌記事の中でその先生は、白鶴拳の発勁についてこのように書いていました。
「後ろ足で身体を前に蹴り出し、その勢いを乗せて上半身をしならせてそれを相手にぶつける」
それ、発勁でもなんでもない。
ただのもっとも浅い、遠心力と力任せで体重を浴びせているだけです。
それ絶対やっちゃダメ。
間違ってこれをやると偏差の元になって、脳や頸椎に深刻なダメージが残ります。
私が白鶴拳と共通性が高い客家拳法を教わった時も最初にそのことを師父から告げられ、とはいえ初心者はやってしまうだろうからとそれを避けるための気功を並行してしっかりと教えてもらいました。
この経験を踏まえて、私も中国武術を人に教授するときには絶対に養生を優先するように注意して、気功を合わせて伝えています。
ではなぜ件の先生はこのような素人さえ騙せないような薄っぺらなことを書いていたのでしょうか。
それはやはり、嘘を公表することで真実を隠していたのかもしれません。
ただ、それなら初めからここに触れることは記事にしなければよいだけの話でもあります。
ですのであるいは、この先生が土台としている詠春には一般的な発勁理論が無いために、見識に欠けていたからかもしれません。
白鶴拳にはいくつか派がありますが、その中で源流に近いかなり上流の物だと言われる物に、永春白鶴拳があります。
この永春白鶴拳が通称永春拳と称されるようになり、分派してゆき、やがてそれが簡化されて詠春拳と言う名の護身術になったというのが大要だと思われます(さらにその詠春が大陸系の古伝の物から、香港系の物になったときに、さらに大幅に簡素化が行われて大量の内容が無くなったことがこの先生自身の本には記述されています。よってこの先生は香港系も古伝の大陸系も自身で探して学ばれたそうです。その流れでさらに上流の白鶴拳にまでたどり着いたのでしょう。篤心なことだと尊敬しています)。
この永春から詠春への転換の中で、大きな変化がありました。
それは、発勁の省略です。
およそ白鶴拳類はすべて、三戦という母拳を持っていて、これで勁を練ります。
三戦に生き、三戦に死すと言われるくらいに重要な物で、これで得た勁を中核に用法を行います。
名前に鶴と付いていなくても、五祖拳、太祖拳、猴拳と白鶴拳類はすべてこの三戦を継承しています。
この三戦が、詠春拳では無い。
永春拳から名前をいただいて詠春拳としたはずなのに、もっとも中核が無くなっている。
これは失伝したのでも抜け落ちたのでもなく、そのような大きくて時間を要する部分をあえて取り去ることによって、素人や女性にでも出来る護身術としてデザインしたからだと思われます。
意図的な仕様です。
これによって、詠春拳は巨大な勁力で打ち倒すのではなくて身を護ることを重視しながら小手先の連打を細かく当てる構造にシフトしました。
それまでの白鶴拳類では、このような細かい連打はありません。
連環はしますし、その代名詞となっている鶴法と呼ばれる橋法はもちろん多用するのですが、基本的に破壊力が全く違うので戦闘構造が本質的に変わるのです。
この破壊力の部分である白鶴拳の発勁とはでは、何でしょうか。というのが、今回お話したいことの本筋となります。
つづく