これから書くことはね、本当なら避けたかったことです。
書くことが辛いし、書いてあるように認識していることが辛い。
そして、そこにある選択をしていることもとてつもなく辛い。
ですが、前に書いた通りにすでに50パーセントの成人が鬱病下にあると言われており、正気の人間の方がマジョリティとなっているこの環境の下では、こうしたことも書かなければならない。
伝統的な東洋思想を持って、日々行をしながら生活をしている人間の物の見方や暮らしを生でお送りしてきたここでの記事で、いまそれを発信しなければやっている意味がまったくなくなってしまう。
それほどまでに書くことに痛みを伴う題材とは、音楽業界のことです。
夏の終わりから、各種の音楽フェスが物議をかもしてきました。
昨年から休止傾向にあった物が、今年に入ってから強行する流れと言うのが持ち上がってきたためです。
真っ先に耳目を引いたのは、多くの人が知っている有名な大イベントでした。
首都圏で緊急事態宣言が出されており、県境間を越えた移動が感染を広めるからと良識的な沢山の人々が帰省も控えている中でこのイベントは開催され、沢山の人が越境して移動をし、集団で享楽に耽りました。
もちろん、感染者は出ています。
なぜこのような狂気の行動が、と思うのですが、その背後にはやはり、現政権の大物が抱き込んでいる観光業界と地方助成金の癒着問題があり、イベントの開催は地元行政の協賛の基に助成金を資本に行われた物だと言うことが分かっています。
GO TO、オリンピックと続いている同じ金脈の問題がここにもあるのです。
まさかオリンピック開催を否定してた奴らはここに行ってないだろうな、と思うのですが、行っているのでしょうね。
ますます人類への絶望が募ってゆきます。
ちょっとバカバカしいことだと見なされがちな言葉ですが、キャンセル・カルチャーという物があります。
社会的に不適切だと思われることをした企業や運動などに対する不買運動のことだという解釈でおおむね間違いはないと思います。
私は当然、このフェスに行くことはないでしょうし、参加したアーティスト方に対してもこのスタンスに入りました。
私が好きで、消費していた音楽家が沢山いました。
しかし、彼らが高らかに歌い上げていた正しさやまっすぐさも、すべて張りぼてのおためごかしにしかもう聴こえない。
特に今ほど売れる前からずっと聴いていたあるバンドに関しては、初めて聴いた時からものすごい才能だと思ったし精神の在り方に稀有な物を感じていたのですが、もはやその通力は私の心には届かなくなりました。
売れだした頃からちょっと距離を感じていたのですが、大ヒットしたアニメ映画とタイアップした頃にはもうまったく私の心には響かなくなっていました。
デビューしてしばらくの彼らのまっすぐな心の表現には共感をしていたのですが、他者を共感させてそれを経済化することに順応しすぎてしまったのかもしれません。
最近になって彼らの一人が不倫問題から訴訟を起こされて社会問題になり、他のメンバーが「かっこ悪いことするな」というような声明を出していましたが、この件もいわば超小型の小山田問題で、彼らの立ち振る舞いと実存がダイレクトに繋がった状態で現れたのだと思います。
言文一致運動など主張したいわけではないのですが、それでも彼らの経済に対する姿勢や愛情に対する扱いと言う物を目の当たりにしながら、ポップな自意識や恋愛に関する曲を聴いても「自分の感情さえ良ければそれでいいんだろ?」と言う思いを伴わないことは出来なくなってしまいました。
かっこ悪いのは彼等全員です。
金のためならどんな芸でもする、こういうのは昔は文学的売春などと言われたりした物ですが、現代では何か新しい言葉に置き換えているのでしょうかね。
もはや彼らが何を奏でても、親指を加えて尻を突き出して振って見せているようにしか感じることはないでしょう。
とても残念です。
長くなってきたので次回に続きます。
つづく