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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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BL愛好と人権について

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news zeroさんはTwitterを使っています 「【Vチューバ-動画…県警が削除】 女性キャラクターの #Vチューバー 。 #千葉県警 の動画で 自転車にのるときの注意点を 紹介するため起用されたんですが、 「性的対象物として描写されている」 と抗議をうけ削除される事態に。 #newszero https://t.co/xSBfXsl9Hs」 / Twitter

 

 まぁ、こういうこともありまして。

 SDG’sの目標の中に女性の人権は極めて強い物として含まれているので、性的搾取や不在女性の人権侵害と言う物にも厳しい目が向けられているという側面もあるのかもしれないと憶測させられます。

 単純に、これはポルノチックであるから、という可能性もあるのですけれどもね。

 そんな中でね、先日、BLと言う、ボーイズ・ラヴですね、基本的には女性顧客層を対象とした男性同士の同性愛を嗜好する消費者であることをキャラクターとしている女性の学者さんが視聴していたラジオに出ていたのですけれど、これがいつになく元気がない。

 殊勝な口調で、このパラダイム・シフトにおいてBLにおける人権方面に配慮した方向へのシフトを語ってらしたんですね。

 各種団体や個人への配慮を検討したうえで、新しい時代のBL市場の消費の在り方のような物を語ってらしたんですけども、うーん。

 愚行しますに、どう言ったところで人権的に考えるとアウトだと思う。

 原則的に女性が男性同士の性行為を消費するという構造である以上、どれだけ配慮しても女性の消費者にとって対象としての当事者性は出てきようが無いわけで、自分と関係ない他人の性を騒ぎ立てたりはやし立てたりして喜ぶと言う趣味は「他人の性はほおっといてちょうだい」という現在の性に対する人権姿勢に組み込まれえないと思うんですよね。

 BLを消費して当事者足りえるのは実際にそれらの中で対象となる男性のみであるはずでしょうからね。

 これ逆に男性同士の性愛を描いたフィクションを男性が消費しているのに対して女性がクレームを入れても「関係ないでしょう、ほっといてちょうだい」という声が男性当事者から上がるであろうことは想像しうる訳で、他人の性に対して当事者以外の関係ない人が是も否も無いと思われます。

 男性向けの男女の性愛を描いたフィクションに対して女性側から「女性の人権を性的搾取している」というクレームが出るのは、これは当然女性も当事者なので出て当たり前だとは思います。

 それが冒頭の案件ですね。

 前にね、BLMに否定的な黒人男性ユーチューバーの意見をここで引用したことがありました。

 彼は共和党支持でかなりのところ意図的にフェイクを流していると感じたので、彼の意見には賛同できないということを書きました。

 その彼のLGBTQに関する意見と言うのも動画で上がっていまして、内容を要約すると「LGBTQ+の活動家たちは、ジェンダーを70以上に分類している。馬鹿げている。相手にする必要はない」という物でした。少なくとも私はそう受け取りました。

 その、70以上のジェンダーの中に「男性同士の性愛を消費する身体的に女性であるジェンダー」という物が含まれているかどうかは知りません。

 しかし、Qのようにそのような物があるのだとしたら、あるいは宇多田ヒカルさんが自称したように「今日はそっちのジェンダーだけと昨日は違うかもしれない、いまはそうだけど次の瞬間は違うかもしれない」というような状態のジェンダーを固定的な分類の対象と一定するのだとしたら、そのようなBL愛好女性と言うジェンダーもありうるのかもしれません。

 人権の話をしていますが、すべてのジェンダー、ないし単なる性的嗜好が、存在していることと人権的にコレクタブルだと見なされるかということはまた別のお話です。
 よく、古代ローマや日本の江戸時代までなどでは男性同性愛は一般的だった、という話があります。

 一方で、奴隷に殺し合いさせるとかアヘン吸うとか小児性愛とか、かつては優雅な趣味だとされた物が自由主義社会においては人権と言う概念が重視されることで過去の物とされていったってことはあるから、この問題もそうなる趣味なんじゃないのかなあと個人的には感じている部分もあります。

 奴隷に殺し合いをさせるのは良くないと私も思います。

 でも正直、アヘンと小児性愛はいまいち納得し切ってないところもあります。

 私はそういう趣味が無いから、本当にそんな危険性の高い嗜好(ないし性的自己認識)が無く生まれて幸運だったと思うことしかできないというのが正直なところです。

 子供には判断力が無いから大人が性交に持ち込んではダメだと言うのが禁止の理由だと聴いたけど、当事者同士の合意でダメなら保護者の許可取ってますから、書類もきちんと用意してます、ってのはどうなんだろう。

 それだって感覚としてはアウトだよね? 私が思ってるだけ?

 では子供同士だったら?

 この場合、双方当事者だからどちらかがアウトとは言い難い気がします。

 私たちだって、子供の頃にセックスしましたよね、本当は。

 でもそれは小児性愛とは言わない。

 14歳と50歳が愛し合ったらだめなのかと言われて怒られた可哀そうな方が居ましたけど、14歳と14歳は話が違う。

 これが当事者性ということなのではないかと思うのです。

 そして女性はたぶん、上の70のジェンダーにそれが認められてないのだとしたら、男性同士の性愛には当事者性は無いのだと思われます。

 

 これも私には納得が行ってないのだけれど、識者の先生の中にも「差別したいという人権を擁護する人権意識はない」ってことを言う方がいます。

 私はそれは違うような気がしていて。

 差別主義者の人権も守られて人権意識なんじゃないだろうか、という気持ちが私の中にはあります。

 個人的には反対ですし腹立たしいし腕力に物を言わせたくなりますが、私の感情や腕力はたぶん引き金が軽い。

 その軽々しさを自重したく思います。

 実際に、殺人って言う最大の人権侵害を侵した人の人権も守られるのが法律なわけだから、中世の教会による破門みたいな、人権はく奪っていうのはたぶん非常に慎重に向き合わないといけない課題だと思うのですね。。

 それやっちゃうと、ハムラビ法典以前の世界になってしまう。

 あれは、犯した罪以上の物は奪われないっていう加害者の人権を保障した法律ですからね。

 やられた被害者がやりかえしてチャラってことはないのに、それが設定されているってのはそういうことでしょう。

 被害者は大損ですよ。

 そこから始まって、人類はここまでの歴史をかけて人権意識っていう物について考え続けて来たわけで、その中で、差別主義者の差別したいっていう人権は認めない、っていうのは分かりやすく落としすぎな気がする。

 理想としては希望するけれども、危うさをはらんでいるような気がするのです。

 この問題を進めるとアフガニスタンの問題に続くように感じています。

 結局、自由主義軍勢によるグローバナイゼーションは人権を利点として推し進められてきたけれども、それよりもイスラム法の方がいいっていう人達が沢山いたわけでしょう。

 この日本においてですら、現代女性の認識では女性が自立することを望むって言う人は少数派で、多くは男性に養ってもらいたいってアンケートに回答していたって記事を前に書きましたが、そりゃあ信心と文化によって全方位そういう環境にある中東で、いきなり人権意識を持ってそっちにシフトしたいって思えない人が沢山いても不思議はないと思うのです。

 もちろん時間をかけてケアをしながら誘導すれば、いずれは民主化が進むのだろうけれども、それもまた非常に慎重な当事者の判断への尊重が必要な気がします。

 保守的な物には保守に対する人権がある訳で、差別主義者には人権は必要ないから先進化させるのが正しい、っていうのはやっぱり違う気がするんですよね。

 話をBLの元に戻して、結局はもう、当事者以外が何か答えを与えるってことがもう、いまの時代には適していないっていうのが、このトロッコ問答の時代の考え方なのではないだろうかという気がします。

 気づけば日本も、新自由主義から離れるか否かの分かれ道に来ているみたいですね。

 

 そんな訳で、性的な嗜好を入り口に人権と判断力の問題について書いてきましたが、とりあえずBLはポルノってことでチージーな趣味にカテゴライズして、個人的に好きな人がひそかに消費するのは自由だけれどもその正統性を大声で主張したり、その話題そのものを不快を感じる人も居うる公的な場所で語るのはセクハラ扱いってことにしてはいけませんでしょうか。

 90年代くらいに、職場のおじさんが東スポのエログラビアを机の上に置いておいたらいけないんだよ、という教化があったのと同じタイプの問題だと思うのですが。


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