以前にも書いた、フィリピン大統領選に関するお話をしたいと思います。
ドゥテルテ大統領は、任期が残り半年ほどになってきています。
その中で、彼への包囲網が非常に迫ってきている模様が伝わってきました。
いまの副大統領であるレニー・ロブレド氏は、反ドゥテルテ勢力の筆頭だと言っても良いような人です。
ドゥテルテ現大統領が行ってきた、麻薬犯罪者の大量射殺などの通称「麻薬戦争」を批判しています。
もちろん、裁判もなく、法的根拠もなく、超法規的に麻薬組織の人間や麻薬使用者をその場で射殺するというのは先進国の考えからすれば重大な人権問題となります。
そんな「彼の麻薬戦争」を彼女が認めないことは充分に筋の通ったことです。
そのため彼女はこれを「フィリピンの麻薬戦争」ではなくて「ドゥテルテ大統領の麻薬戦争」としている訳ですね。
また、彼女は旧貴族勢力のアキノ派の後継者であるため、政敵であるマルコス一派のドゥテルテ大統領を追い落とすための手段としてもこの件を政治利用していることは間違いないでしょう。
ゲスの勘繰りのようではありますが、彼女は現地では不正も含めたダーティな政治手段の名手だと噂されているのも事実です。
今回の大統領選でも、マルコス派の党首であるボンボン・マルコスを落選させるためだけに立候補したと公言しているそうで、同じく立候補者のイスコ・モレノ現マニラ市長からは「貴族同士の派閥争いを国民のための政治に持ち込むな」と批判されています。
このイスコ・モレノ市長もまた、反ドゥテルテ姿勢です。
苦労をしてきた聖人のような方ですので、その姿勢は充分に理解が出来るように思います。
同じく貧困層から這い上がってきた期待の新鋭、マニー・パックマン・パッキャオ上院議員は、ドゥテルテ大統領と同じ政党に所属していて、いわば後継者となる候補者です。
しかし彼もまた、反ドゥテルテ派なのです。
有力候補者の中では、そうではないのは同盟者のボンボン・マルコス上院議員だけと言った状態です。
このような包囲網の中で、任期中は棚上げになっていた「彼の麻薬戦争」への調査が進行しているのだそうです。
それについて一言を求められたドゥテルテ大統領は「もしこの捜査によって確かな証拠が出てきたなら、逮捕されるのは私だろう」と語っています。
「他の誰でもない、すべての責任は私にある。だが、私が刑務所に入っている間にまた麻薬組織が息を吹き返し、麻薬使用者が増えたなら、そいつらの前に再び私が立つ。そして殺す」と発言したのだそうです。
すごい男だと思いました。
彼は、若い頃からバットマンのような自警団行為をしており、夜の街で犯罪者を射殺していたそうです。そのために初期は、ダーティ・ハリー知事などとあだ名されていました。
殺人で刑務所に入ったこともあり、塀の中で勉強をして法律の資格を取得してきました。
彼は「麻薬汚染がフィリピンの若者たちの未来を壊し、フィリピンの未来の足を引っ張ってきた」と発言をしています。
そのために、国の発展のためには麻薬を根絶しないといけないと決断して、自ら手を汚し、自分の人生をなげうって罰を受けながら国を発展させてきました。
事実、彼が麻薬組織を弾圧し、彼らをつるんでいた汚職警官たちも処罰し、麻薬使用者も処刑してきたことで、社会構造が一新されました。
フィリピン在住の人たちも「本当に不正ってなくなるんだね」と驚いているのを聴いたことがあります。
街並み一つ見ても、彼の政治改革でまったく変わりました。
ストリート・チルドレンも野良犬もまるで見なくなりました。
路上のゴミも定期的に清掃されるようになりました。
そのことを現地の友人に言ったところ「みんなドゥテルテがそういうのが嫌いだから掃除をしたんだ」とのことでした。
明らかに近代化の革命児なんですよね。
もし彼が国の内外をクリーンにしていなかったら、イスコ・モレノ市長もパッキャオ上院議員も、ロブレド副大統領のような古い時代の貴族派閥によって潰されていたことは想像に難くありません。
実際、過去にボンボン・マルコスが彼女の不正によって潰されたことがあったとまことしやかにささやかれています。
もちろん、証拠などはあがってきません。
そういう、権力の闇を取り払ったのは間違いなくドゥテルテ大統領なんですよね。
私はそこに、孔太夫が説いた「侠者」の姿を見ます。
孔子大先生の思想と言うのは元々、当時の中国で力を付けていた侠者たちを教化し、法治国家を成り立たせるための物であったという話があります。
侠者と言うのは、倫理観を持ち正しいことをしようとするけれど、法を護ることが出来ない人たち、ということです。
各地の群雄たちですね。
ダバオの没落貴族の家から、自らの義侠心一つで国を変えるまでに至ったドゥテルテ大統領のことを、私は歴史に残る偉大な侠客として畏敬しています。
国民に自助を要求するような先進国の政治の中では、恐らく彼のような人は中々出てこないことでしょう。
パッキャオ議員、モレノ市長、ともに彼と同じく自らの身を切って国民のために働く人たちです。
彼らは選択としては反ドゥテルテ大統領であっても、その精神は間違いなく共通の物であるように感じています。
私たちの肉眼に見える世界は生ぬるく、くすんでいて浅ましい物だとしても、現実の世界にはこのような人たちが存在していて本当に生きていることを忘れたくはないものです。