最近、日本ではパンデミックが落ち着いてきて、明らかに緩んでいる人たちが巷間沢山見られるようになって驚かされています。
しかし、世界的にはいまだ感染拡大はしており、イギリスやロシアでは大量の感染者が溢れ、タイとフィリピンと言う私の修行先の国では経済優先政策によって外国人の往来が再開されることになり、非常に危険なことにもなっています。
とはいえ、実際にワクチンの接種も進んでおり、また経口治療薬も各国で開発が進み、明らかにこれまでとは情勢が変わっているのも事実でしょう。
私は昨年の二月、フィリピンで修行中に現地の中華街からCOVIDが広まる様を目の当たりにして、日本では一早くこの疫災への対策を始めた一人だと自負しています。
私が帰国して十日ばかりで、マニラの空港は閉鎖され、またホテルも営業が禁止となり、日本人も含めた外国人滞在者が大量に難民化したというニュースを聴きました。
その様子を動画で配信していた人も居たので、固唾をのんで見守っていた次第です。
そう言ったこともありまして、それまでのように海外を行ったり来たりして仏教の伝播と共にアジア諸国に伝わった身体文化のフィールドワークをして暮らすと言う生き方を中断しなければなりませんでした。
そこで色々な先生方のお話を勉強し、過去を学んでその先の見通しを検討した結果、恐らくはこの状況は二年から五年は続くだろうから、その間に出来る最善の選択をしようと言うことで、鍼灸学校に入学することにしました。
受験に一年、通学に三年かかりますので、国内でもっとも高いレベルで自分の課題としている学問を続けられるという見立てです。
大きな進路としてその選択をしながら相変わらず自分の学問を続けているのですが、そこにはパンデミックによって起きたパラダイム・シフトによって、前のパラダイム・シフトからの流れを総括するという切り口が加わりました。
これはこの一年半の大きなテーマとしてこちらでも記事にし続けています。
スペイン風邪の時代を舞台にしたアメリカ小説や、大戦を背景としたターザン、ルパンなどについて書いてきたのはそのためです。
今回の記事も、そう言った流れの一つになります。
扱うのは、フランク・シナトラです。
アメリカの人種差別の歴史を見てきた時に、60年代の公民権運動を軸にすることは多いのですが、20年代以降には黒人種差別と並行しながら、黒人種の高給取りという人たちが居たことはあまり知られていないのではないでしょうか。
それが、ジャズ・エイジにおける黒人ミュージシャンたちです。
1920年代に黒人音楽のブームが白人種の間で巻き起こりました。
白人向けの高級クラブで演奏していた黒人ミュージシャンの週給はおよそいまの日本円の価値にして700万円ほどだったと言いますので、これは非常に高額でしょう。一か月なら2000万円!
しかし、これには実に紆余曲折があります。
そもそも、ジャズと言うのは黒人種が踊るための音楽、つまり、ダンス・ミュージックだったのだそうです。
ジャズがダンス・ミュージックってのは良く聞く言葉ですが、考えてみると違和感がないですか?
ジャズでどうやって踊るんだろう。
我々80年代育ちにはジャズ・ダンスという言葉が脳内メモリに登録されていますが、あれ、別にジャズで踊らない気がする。
ではどういう踊りだったのかと言うと、これがペアダンスだったのです。その名をリンディ―ホップと言います。
これは後にホワイト・ウォッシュされてツイストになります。以前、私が練習場所をお借りしていた社交ダンスの先生にソシアルの歴史を教わったことがあるのですが、そう教わりました。
この、黒人種がリンディー・ホップを踊るときの音楽を彼らはジャズと呼んでいたのですが、これはスラングで「セックス」と言う意味だと言います。
男女が二人でするからそう呼んだのでしょうね。
白人種はこのダンスをするときの楽曲が素晴らしいので、ダンスから抜き出して音楽だけをホールで演奏させて鑑賞するという文化を作りました。
しかし、その時にこれが「セックス」と言う名前では具合が悪い。
なにせホールに音楽を聴きに来るのは白人富裕層、現代に通じる、クラシック的なホール音楽としてのジャズのスタートです、お上品な物にしたいので改名しなければならない。
そこで彼らはジャズのことを「スイング」と名付けました。
現在ではこのスイングでもペアダンスを踊る方向に再融合されていますし、その時の楽曲はジャズには限らずロックン・ロールやブルースと変化が進んでいますが、スタート時はそういう物では無かったようです。
この、ハイソな音楽文化の帝王というのがフランク・シナトラです。
今回は彼のお話です。
つづく