さて、前回予告した通り、今回はフランク・シナトラのお話です。
彼は間違いなくアメリカ史でも最大級のスターです。
私の世代にとっては、あまりにもスタンダードなので音楽関連の映画や番組で彼が取り上げられてゆっくり唄い出すと「またか」と正直古臭い懐メロの王様扱いの感想を持っていました。
映画「シング!」のクライマックスでも動物に例えられたシナトラのキャラクターが「マイウェイ」を唄って聴衆を感動させる、という展開になったときに、やっぱり「またシナトラ」と思いました。
とにかくアメリカ人はシナトラさえ聴かせればうっとりして黙る。なんだろねえ、と思っていました。
またその、シナトラをモチーフにしたキャラクターがこずるくてだらしない、いかにもシナトラのマフィアの仲間だったと言うお話に寄り添った物で、そんな小悪党でも歌さえ上手ければそれでOKかよ、と鼻白んだものです。
このシナトラ、それだけの大スターでありながら、よく考えると不思議なことがありました。
それが「ジャズ・ミュージシャン」としては扱われないところです。
明らかにジャズの音源なのに。
しかし、彼はジャズの帝王ではありません。
スイングの帝王です。
つまり、黒人種のはジャズ、白人がやるとスイング、という文化の人種的境界線、もっと言うと、文化帝国主義のアイコンとしても彼の姿は観ることが出来ます。
白人種が黒人種のジャズを「スイング」と勝手に名前を変えて消費するようになった時代、白人種間にも差別がありました。
白人種の中で最も位が高いのは、最初にメイフラワー号でやってきたホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの人たち。
すなわち、清教徒でアングロ・サクソンのイギリス系の人たちです。
彼らはいわばアメリカ貴族としてかの国に君臨します。
その後に移民してきた、ケルト系、カトリックのアイルランド人やゲルマン系のドイツ人、ラテン系、カトリックのイタリア人などは二等白人の地位にありました。
しかし、二級市民とはいえ市民は市民、黒人種や黄色人種、先住民との間には巨大な壁があります。
その微妙な立場に立ちながら、カリカチュアされたかのような青い目を持ち、天才的な歌唱力を誇り、ケネディ家を始めとするセレブとの交際で社交界の花形であったシナトラが「ジャズ」を唄う訳がない。
だから彼の音楽は「スイング」、彼は「スイングの帝王」なのです。
このため、現在に至るまでコアなジャズファンはシナトラと耳にすると鼻を鳴らす、なんて言うそうです。「あんな白人の歌!」
文化盗用は前のパラダイム・シフトでの重要なポイントでした。
シナトラの「まがい物の白人のジャズ」はその巨大な象徴だったのでしょう。
しかし、彼の楽団はシナトラ・ファミリーと呼ばれており、そのメンバーには黒人が重用されていました(もちろん白人もいる)。
これは、シナトラ自身が、白人種の中では二等市民と呼ばれる被差別階級の身でもあり、かつ彼自身の音楽的能力から、演奏者にも極めて高い能力を求めていたためです。
前回の記事で書いた、高給取りの黒人種と言うのはこういった白人種のために楽曲を奏でるスイングの演奏家の人たちのことです。
文化盗用のスターのような人物が、もっとも盗用元の実力を買っていたというのは納得のいくことです。
それだけではなく、彼は人種差別に反対する人間でした。
楽団を連れてレストランに入れば、当然当時の高級レストランなどは黒人種を席にはつかせません。
「旦那様、使用人は表でお待たせください」ということになります。
しかしそういうウェイターやレストラン経営者とシナトラは徹底的に喧嘩をして「この店はシナトラに断られた店になりたいのか!」と恫喝し、絶対にバンドメンバーと別に食事を摂ろうとはしなかったのだと言います。
みんなが注目する社交界の花形のこのような態度は、白人優位の社会体制を保持したい保守層には極めて問題視されました。
そこで保守層の政党である共和党は、息のかかった新聞社に彼のスキャンダルを書きたてさせます。
我々が知っている「シナトラはマフィアの子飼い」と言ったような悪評は、この時に広められた物です。
私がシナトラに対して持っていた不良歌手というダーティな印象は、確実にこの共和党の風評政策によって刷り込まれていた物でした。
この攻撃によって、シナトラは返って反骨心を掻き立てられたのか、民主党のケネディ一族と近しくなってゆきます。
それによってまた三角関係スキャンダルなどを引き起こすのですが、これはまた彼個人の問題。やはり、風評攻撃は風評攻撃として、暴れん坊だったのは事実だったということでしょう。
彼がバンドメンバーの黒人を人種差別的な用語で罵り、殴りつけたのを見たという証言も残っています。
一方、白人種のメンバーに関しても同じようにしていたとも聞きます。
褒められた物ではありませんが、そこいはある種の差別意識の無さを見ることも可能です。
実際、彼自身社会的弱者への意識は持っていたようで、生涯に渡ってナチ・ハンターへの資金融資をしたり、病人へのチャリティや募金をしていたと言います。
そこに私は、ある種の古い時代の親分肌の男の立ち姿を見ます。
この言葉自体がもう、古い時代の差別的な思想背景を内包した言葉なのは間違いありません。
その上で私の中にはそれを美と感じる意識が強く根付いています。
これは恐らく、孔太夫の説かれたという「侠者」の美なのでしょう。
法に照らし合わせると正しくはない(ポリティカリティにコレクタブルではない)が、そこには善の倫理がある、というのが侠という言葉の意味です。
この侠の心を持つ人々をより善に教化するための物が、儒教の教えだったと言います。
そして儒者の学問には、楽、すなわち音楽が人を正しい道に導く物として数えられています。
もしどれだけ礼を学び書を読んだとしても、侠心にかけていてはそれは小人であり、正しい道に立つことは出来ない。
どれだけ巨大な権力から圧力をかけられても戦い続け、社会構造や運命に抗い続けたシナトラは、私にとって野生の美をたっぷりと持ち合わせた、実に偉大な男でした。
この彼の横顔を知ることが出来たことによって、生まれてから初めて心より寛いで彼の歌を聴くことが出来るようになりました。