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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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道化師の不始末

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 これね、ハロウィンの日に起きた「ジョーカー事件」として話題に上った件について非常に思う所がありましてね。

 というのも、そもそもが、まず私はハロウィンはやるんですよ。

 それで、バットマン映画もみんな観てるんですよ。傑作、LEGOバットマンも、クズ以下のニンジャ・バットマンも。

 でもって、ハロウィン期間中には毎年一回はジョーカーの仮想もするんですよ。

 一応、シーザー・ロメオ版、ジャック・ニコルソン版、ヒース・レジャー版、ジャレッド・レト(残念!)、ホアキン・フェニックスとそれぞれのバージョンも意識して。

 地肌が白い奴と、白く塗ってる奴と、自分がジョーカーだと思って粋がってる勘違い野郎にしか見えない奴と、ピエロのメイクではまったく違いますからね。

 でね。

 今回のいわゆるジョーカー事件に関しては、非常に憤慨しておりましてね。

 というのも、犯人が事件の決行を決めてから、実行の数日前にたまたま潜伏先のホテルで観た映画からジョーカーを装おうと思ったって時系列らしくて、DCコミックスと本物のジョーカーからしたら完全にもらい事故なんですよ。

 でも、事件を彷彿させると言うことで、日本においては完全にジョーカーはもう、地上波では少なくとも簡単に放送しやすいコンテンツではなくなってしまった。

 核爆発がモチーフのゴジラはOKなのに?

 でね、そういう、完全後付けのにわかもにわかの偽ジョーカーだから、ジョーカーの一番大切なところがまったく守られてないんですよ。

 その一つはまずとにかくメイクでね。

 メイクしてないんだったらジョーカーでもなんでもないんですよ、そんなもんは。

 なんでそんな大事なとこをはずすかなと。

 一体お前は何を見ていたんだ、犯人。

 仕事が上手く行かなくて逆恨みして凶行に走ったと言うから、明らかに障害のある人だったのだろうけれども、そういうとこだぞ。

 ジョーカーやろうってのに顔を白塗り出来ないようなところが、仕事が上手く行かないところだろうよ。

 ただ、これね、うちの地元で起きた発達障碍者による連続殺人事件でもそうだったんだけど、動機が「障害で苦手な仕事がこなせなくて苦しかったから、仕事になっている顧客を殺して仕事を減らした」って物らしくて、やっぱりそこに、普通の人として知能があるのだけれど、多重作業がどうしても苦手だとか、考えを変えることが出来ないと言う物理的な脳の構造が根本的な原因になっていることが容易に想像できる。

 そうするとさ、やっぱり大本の原因として、社会構造と言う物に目を向けないとならないと思うんですよね。

 障害があるヤツが仕事が出来ないからいけないんだ、っていう排除的発想が、そのまま仕事が出来ない原因でる社会を攻撃してやれ、とか顧客を死なせてしまえ、っていう発想にそのまま返ってしまっているだけなのではないかな、これは。

 生きづらい人がそれでもそれなり生きられる社会でないと、結局そこに生まれたひずみってのはどっかに出る訳でしょう。

 明らかにいまの社会構造だと、適応できない障碍者は死んでくれ、死んでくれまで言わなくても、いなくなってくれるのが一番いい、って考え方は大きな流れとして存在してますよね。

 私が現職時代に補足して警送した犯行者の中にも、障碍者や精神病者は何人もいた。薬物依存者もそこに入れていいでしょう。

 身柄を引き渡して現場検証している時にね、そこに居た警察官が「こういうの(犯行者のこと)は一生どっかに閉じ込めておいてくれないと困るよねえ」って言ったんですね。

 こういう奴らが、公的社会機構の重要な実行力として機能している訳ですよ。

 そのレベルの民度で社会が成り立っているんですね。

 原則的に、警察官の民度と言うのは世界レベルで観てだいたい低い。

 アメリカのBLM事件が印象的ですが、それだけでなくてヨーロッパでも人種差別をして外国人をリンチしたり殺害してる人間には警察官が多い。

 フィリピンでは警察機構が悪の温床になっているから、ドゥテルテ大統領が大量の職員を処分しました。

 関東大震災時に起きた外国人大量リンチ殺害事件の時も、扇動していたのはマスコミと警察官だったと言われています。

 これはね、まだまだ社会が改善されるには時間と労力が必要なのも仕方ありません。

 生きることに苦しんでいる障碍者に対して、公的機関が敵対関係に立っているような国では、救済の余地も少なくなり、当事者に向けられた排斥意識、攻撃意識はバウンドして他の人間に向けられることは当然あるでしょう。

 この構造、社会感情のような物を、確実に変えてゆかないと同じことは必ず繰り返される。

 実際その後も模倣犯による「ジョーカー事件」は続いており、一部ネット上では「今日のジョーカー」と言われて揶揄されています。

 ただ、ここにも社会の民度が垣間見られており、強盗未遂からストーカーまでがジョーカーとして扱われていると言います。

 こうやってなんでも扇動して洗脳してゆくのが、薄っぺらなマスコミの仕事によるものだということは明白でしょう。

 ネットがテレビを越えるメディアになってよかったと思うことの一つには、このマスコミへの相対化があります。

 昔のように、テレビでやっていることはみんな本当のことだ、正しいんだ、と思いこむような人が減っていることは間違いないはずです。

 先日ニュースで扱われた「今日のジョーカー」 は、公園でナイフを振り回して学生に制圧された老人でしたが、犯人は取り調べで「記憶にない」と証言しているそうです。

 これは、酔っぱらいの痴ほう症老人辺りが正解でしょう。

 こういったなんでもかんでもジョーカー、という洗脳、類型化に犯された価値観の人間が、次のジョーカーになることは充分にありえることだと思います。

 自分の頭で考えるという習慣が無いと。

 ちなみに本家のジョーカーと言うのは、意味のある殺人は決して犯しません。

 それでは単なる怨恨や金目当ての殺人者です。

 あくまで、自分の思いついた新しいジョーク、として人を殺すことはありうるので、気が狂った快楽殺人者と言った方が近い。

 ですので、貧乏くさい動機からやけになって人を殺すような事件を、話の分かっているコミックス・ファンは「ジョーカーは殺さないのがジョーカーなんだ」と憤慨しています。

 まぁ実際、前述の老人も含めてこの手の「今日のジョーカー」たちはみんな殺人にも失敗しています。

 何をしても失敗する……。

 カリスマ的天才犯罪者であるジョーカーの姿とはかけ離れているんですよ。

 こうなってしまったのは恐らく、ホアキン・フェニックスのジョーカーの影響なのでしょうね。

 あの作品は解釈が必要な作品で、ちゃんと映画を観ていると、ホアキンが演じているピエロはジョーカーでもなんでもないことが分かります。

 あの映画は、障碍者の青年が社会から抑圧されて咄嗟に(それもどちらかというと自警団のバットマン的に)殺人を犯してしまったことから完全に転落して単なる妄想怨恨殺人犯になるという、非常に惨めったらしいお話です。

 バットマンは出てこない。

 後にバットマンになるブルース・ウェインは何も分からない子供として出てくるので、もしあの映画内でのエピソードがジョーカー本人の物だったとすると、年齢設定がめちゃくちゃになります。

 まぁ、本当のジョーカーがぼけ老人だったというのなら別ですが。

 映画の最後は精神病院内での妄想と現実の区別が付かなくなった映像で終わり、すべてがカウンセリングを受けていた患者の独白だったことが示唆されます。

 ヒース・レジャー版のダーク・ナイトのジョーカーをご覧になった人ならお分かりでしょうが、ジョーカーと言うのはさも自分には哀しい動機があるのだというようなふりをして、毎回適当に思いついた嘘の過去のエピソードを語っては「うっそーん」とジョークだったことを明かすキャラクターです(そんな与太話ばっかり聞かされているうちに、担当医だったハーレィ・クィーンも感化されてあんなになってしまった)。 

 それも含めて、ホアキン版の「ジョーカー」は、まったくジョーカーではないんですよね。本当は。

 ただ、このお話ももう一転しまして、その「ジョーカー」の中では、本物のジョーカーは出てこないのですが、ジョーカーを装った人々が暴動を起こして次々に事件を犯してゆく、という社会パニックが描かれます。

 具体としての個人ジョーカーではなく、現象としての「ジョーカー」という意味では、社会のそこに居た人たちがヒステリーを起こして凶行に走るという構造は、確かに「ジョーカー」そのものだと言えましょう。 

 彼らのような人々が、昭和の立身伝のように戦後のドサクサに紛れて倫理無用の立身出世をなしとげて地元の名士みたいな物になると、このような社会になるのではないでしょうか。

 そういった世の中に押しつぶされて関係ない人々に暴力を振るうくらいなら、なぜその命を少しでも何か意味のあることに向けない、という気がします。

 金と名声と権力という社会の上っ面の価値観に、結局は洗脳されつくしてしまっている。

 成功者も犯行者も、本質的には何も変わっていないのではないでしょうか。

 せめてね、こういうことは言っては反社会的ですよ。

 でも反社会的なので書きます。

 世の中をこういう風にした人間を襲うとか、腐敗した政治や企業に攻撃を向けるとか、そっちの方向に行けないひ弱さが、自分より弱い、無辜の人々への暴力になるのでしょう。

 あるいは、現実を認知し、問題に抵抗する能力そのものが無いから「ジョーカー」なんぞになっていまうのかもしれない。情けない。

 中東におけるテロリストと言われる人たちの中には、そういう意思を持って自爆攻撃をした人もいる訳でしょう。

 政治的なことではなく、単に目に見える位置にいる自分の敵に向けるのだっていい。

 私の友達がかつて言った名言に「喧嘩の相手を間違えちゃいけねぇな」という物があります。

 何かに攻撃されて、抑圧されて攻撃性が高まる。その時に、自分に好意を向けてくれている家族や恋人、またなんの関係もない通りすがりの他者に悪意を向けるなどというのはゲスもゲスのすることでしょう。

 DVなどは間違いなくこの構図で行われている。

 不満があるなら自分の敵にまっすぐにぶつけないと。
 ドゥテルテ大統領は若い頃、銃やナイフで武装して、夜の街に出てはギャングや強盗などにわざと出くわして殺害していたと言います。

 アメコミ映画のヴィジランテ行為、バットマンそのものなんですよね。

 バットマンと違うのは、それで刑務所に入り、そこで法律の勉強をして大統領になったということです。

 その過程でも、その後も、同じく国を腐敗させる犯罪者を殺害し続けています。

 ジョーカーとバットマンは表裏一体だと言いますが、こういうことなのかもしれません。  


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