以前に、老化した男性は脳の恋愛を司る部分への刺激に鈍感になり、そこからエンドルフィンが出にくくなるということを書きました。
代わりに、水平線から仲間が来るような景色を見るとエンドルフィンが出やすくなるそうです。
考えてみれば、ご来光などもこれですね。
この構造、どうやら元々は原始時代に群れの仲間がやってくることに歓びを感じていたことに通じているそうです。
それで考えると、老人になるほど愛社精神、愛校精神、愛国精神が強くなる、ということがあるということを聴きました。
仲間への帰属意識、同族意識が強化されるためでしょう。
ある有名な作曲家の先生は、定期的に愛国の集いを開いていたと言います。
招かれた人は、そこでかつて愛国心から国のために準じた226事件の将校たちは偉い、という話を聴かされ、国に居ながら国を脅かすような売国奴は許せん、という怒りを語られたと言います。
もちろん、当然の疑問として湧いてくるのが、226の将校たちこそが当時の国体を内側から崩そうとした人たちだろう、ということであり、このお話を聴かされた当人は「それでクーデター失敗しちゃったってこと、センセイ分かってないんじゃないかな?」と思っていたと言います。
またこの作曲家先生は、自身が仕事でかかわった他人の作ったビッグ・コンテンツに関しても「このお話は愛国心をテーマにしているから素晴らしい」などと仰っていたそうですが、うーん、かなりお話が危なっかしい……。
話のつじつまがどうであれ、とにかく自分が帰属する物に対して愛着的にふるまうことそのものでエンドルフィンが出て快楽状態に至れる、ということが本質なのでしょう。
集団的ナルシシズムの効用です。
以前に老人関係の仕事で働いていた時に聴いたことなのですが、老化すると常に不安が湧いてくるようです。
猜疑心が強くなり、妄念が湧いてくる。
これらは個人的な人格と言うよりは、脳の構造による動物的な物であろうと思われます。
確かに人格を安定させる役割のあるエンドルフィンやセロトニンの分泌が低下すれば、そのようなことはあるのでしょう。
だとしたら、自己防衛としてインスタントなエンドルフィン分泌法に耽溺するのは自然な帰結に思われます。
それに加えて、今の老人たちは現代社会で生まれ育っていて人格の中核となる物を持ち合わせていないことが多い。
消費社会に育ち、バブルを謳歌してきたような薄っぺらな人たちが、さらに脳機能まで低下した時に、人格を支えるに足るだけの精神的資本を持っているとは考えにくい。
戦後に育ったそのような老人たちを、00年代くらいには「暴走老人」と称して、高齢者に何かおかしなことが起きている、と社会問題視する動きがあったのですが、その懸念は当然年月を追うごとに悪化してゆき、いまでは「老害」などと言う言葉まで頻繁に見聞きするようになりました。
挙句の果てには老害「ジョーカー」……。
若者のダメなところと老人のダメなところを兼ね備えた人たちが現れています。
つまり、世代的に人格的な成熟を得ないまま老化した結果なのでしょうと推測しています。
可哀そうですが、脳が委縮して問題対処能力が劣化し、身体能力も時間的猶予も欠乏したあとではもう再生は難しいことでしょう。
我々はもって自らへの戒めとし、まだなんとかなるうちに唯一自分の頼りとなる人格の成熟を図るべく、良い生き方を模索し続けてゆきたいところです。
そのためには、他人である国や会社、卒業校などにしがみつくことなく、自分で自分を立てることを中核としてゆかないと。
不安によって帰属にすがりつき、それによってさらに自己が不明瞭になり、さらなる大きな不安に襲われる、などと言うような地獄は断じて避けたいところです。