首都圏での新規感染者数が激減し、ワクチン接種率も75パーセントを越え、いまはだいぶん情勢が落ち着いています。
そこでクラブに顔を出したりすることも一旦再開し始めました。
懐かしい顔に再会しては、これまでどうしていたかという話などしております。
そのうちに、もうずいぶん前から知っている横須賀のセンパイが居るのですが、まぁこの方がイケている。
よく気にかけてくれていて、お話をすることはあったのですが、初めてその方がコイズミさんだということを知りました。
横須賀の小泉と言えば、あの一族で、実は私もその一員です。イケてる先輩と親戚だったかもしれないとお話をしたら、実は元々はコイズミじゃなくて瀬戸内の高原一族の裔だと言います。
この背都内の高原一族と言うのが何かといいますと、私も知らなかったのですが海賊の一族だと言うのです。
これもまた縁ですね。
かえって調べてみますと、この高原一族、もっとも古くに出てくる記録によると、以前に鎌倉時代を扱ったときに書いた崇徳上皇に関わりがある一族なのだと言うのです。
あの、保元の乱で敗れてさぬきで押し込めとなり、魔王となって日本を祟ることになった崇徳上皇です。
讃岐に島流しになった時に、上皇をお世話していたのが高原一族だと言います。
おぉ。海賊と妖怪が繋がった。
私の研究的には実に興味深いことです。
戦国末、この一族の高原次利という武将が居て秀吉に仕えて水軍働きをしていたそうです。
となるとですよ。
当然、戦後には朝鮮攻めに参加することになる訳です。
つまりは、倭寇です。
日本の歴史ではスポイルされがちですが、大陸の歴史においては秀吉の朝鮮攻めも第二次大戦も倭寇であるとされています。
ただ、この高原氏は直接戦闘に参加したかどうかは分からず、日本からの物資の輸送を担っていたという記録があるそうです。
面白いのはこの高原次利、クリスチャン大名だったそうです。
日本にキリスト教を運んできたのが海賊であったので、これは不思議はない話なのですが面白い感じもします。
なぜ彼らがキリスト教を日本に伝来させたかと言うと、火器の貿易をしていたからです。
高原氏もおそらくは、そのような鉄砲貿易に噛んでいたのでしょう。
となると、この鉄砲や砲を介した海賊兵法を用いていた可能性もありますね。
ただ、この一族は後に改易となり、城も火災でなくなってしまったそうで、情報はとても少ないようです。