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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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自分事

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 私の武術に対する取り組み方としては、あくまで文化、学問、心身の繋がりを徹した肉体からのアプローチで精神的な目覚めを目的とした物だと言うスタンスで日々活動をしています。

 当然、活動の一環としてのここでの記事の発信もそれに準じています。

 武術と格技を混同して勝敗や強弱に囚われがちな世の中の武術を標榜する人々とはそこに一線を引いています。

 自分のこととかどーでもいい。それよりも歴史と文化だ、ということを書いています。

 それを通して社会構造への視点を養い、未来に向かう足場の基としてゆくことに意味があると感じています。

 よって、古典にある俗流や花拳のような物には常々否定をしています。

 それらはすべて、個人と言う私に所属する物だからです。

 そのような考えを持つため、平素自分のことはほぼまったく書いていないのですが、今回ちょっと書いてみようと思います。

 というのも、上記のような学問主義で来た結果の一つの類型的ケースのような物が私の身に起きたためです。

 私は現在、ミッション系の大学で講師をしています。

 きっかけは、老師が「比較文化人類学をしてみましょう」とお声がけをしてくださったことです。

 老師は大学の先生で、以前に黄檗派による文化伝来の講座をされたときに私も拝聴に伺ったということを書きました。

 私はアジアの身体文化の伝来を研究しているため、その経路である海上ルートの文化的往来と、そこに伝わる海上文化の一つとして五祖拳を求めていたことがきっかけで、老師とはお会いすることが出来ました。

 日本では私のような学問をしている人はほぼいませんが、老師は数少ないその分野の学問をされている方でした。

 このような方が、福建から日本にいらっしゃっていて、こちらで教育活動をしてくださっているというのは私にとっては実に幸いなことです。

 本当に、老師の学問の全てを学びたい気持ちでいっぱいなのですが、大学の生徒ではないのでそれも難しい。

 しかし、今回このようなお声がけによって私自身が大学の先生となり、自分の研究の結果を老師にご披露することが叶いました。

 これはね、個人的に非常に重要なことなのです。

 生涯にそうそうありはしない幸運です。

 というのも、冒頭に書いたようにこのような取り組みはあえて明文化しなければ認知されないほど、この国においては一般的では無い物であるということがまず前提にあります。

 学問として身体文化に取り組むと言うことがまずありません。

 自己流の運動としての取り組みをすることが一般的であり、歴史的資料や文化として取り扱うと言うことがまったくもって少ないのです。

 自分が動けるかどうかという私事のレベルで止まっているケースがほとんどです。

 そういうことではなく、昔の人がどの地域でどのように身体を認知し、発展させていたのかと言う歴史が私の研究の対象です。

 当然ですが、人間と言うのは身体によって外界を認知します。

 受験対策の歴史の勉強では、起きた出来事の名前とそれが起きた西暦の数字を暗記することがほとんどだと思われます。

 ではその出来事を当時の人間がどのような主体で認識していたのか、ということに触れることはまずありません。

 歴史的な身体文化を学ぶと言うことは、そこに触れると言うことです。

 これによって、我々は自分たちが現在どのような地点にやってきているのかを感じられます。

 それを通して、自分たちが何者であるのかを知る一助となすことが可能であると考えています。

 こうして方向性と定点を把握すれば、未来を予測してそこに働きかけることも可能でしょう。

 社会や世界にアプローチするための活きた歴史を学ぶことが出来るということです。

 それがあるから私は、強弱や勝敗と言った個の範疇に閉じこもったような小さな武術=俗流を否定し続けているのです。

 いくら武術の手管に長けてもそれだけでは小道に過ぎない、というのは革命時代の中国武術の啓発書「宗法 拳術秘訣」に明記されていることです。

 身体を通して歴史を学び、世の中を変える礎にすることがすでにその時代から訴えられている。

 だからこそ私は、教養、教育の重要性をここで繰り返し書き続けてきました。

 身体文化はそのための教養なのである、ということがコンセプトです。

 ですからいま、それがね、選良の集う学問の場で発信できているということは、私にとって非常に大きなことなのです。

 以前も書きましたが、私のまわりには「オタクの生徒は何人ですか? 支部はいくつですか?」と訊いてくるような俗人性の強い商売先生が多い。

 そういうことではない。

 そういう先生が人を教えるから、生徒さんの頭数を生産性の結果の数字としてしか見られなくなる。

 見るべきは過去から連続的に繋がる文化による教育性であり、それがその先の世の中にどうつながるかということだけです。

 この一年半ばかり、いまは世界が変革するパラダイム・シフトの時代だからこの時代のうねりをしっかり認知し、人類史の未来へと取り組めと言うことをしきりに書いてきました。

 今回のことは、まさにその意図にピタリと合致した物であると思っています。

 人類のために文化をして仕事としたいと考えてきた結果が、ようやくここで一つの形となったように思います。

 この、私と言う小さな一個人のケースをして、因果を読んで活動をすると言うことの一例として発信させていただきました。


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