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中国武術の起源

 鶴拳類の南進を追いかけていて、中国武術の発展に目を向けてきましたが、そこは陰陽思想、逆も補うべく今度は中国武術のおおもとに視点を向けてみたいと思います。

 このことは各種の書籍などで必ず軽く触れられているのですが、それにちょっと私が直に耳で聞いた説などを取り交ぜてみたいと思います。

 まず、中国武術の起源として必ず語られるのが、少林隆盛以前の時代に手搏と呼ばれる物などがあったということです。

 この言葉は現代では武道や格闘技全般を指す言葉だそうで、そこから察するには具体的にどういう物があったかは分からないけれど、昔からそういう物があった、というぐらいのことを示しているものだと思われます。

 これらの中には、土着の戦闘方法のようなものがもちろんあったのだと思います。

 そこに影響を与えたのが、レスリングだと言う説があります。

 レスリングは古代エジプトはじめ、アフリカ大陸、ギリシャ文明下などで盛んに行われていたと言われています。

 また、ペルシャ、インドなどでも盛んで、シルクロードを通してそれが中国に伝わってきたと考えることが出来ると思われます。これがまず、一つ目の影響、レスリング影響説。

 それからもう一つあるのが、モンゴルのブフの影響です。こちらは中国武術モンゴル起源説というものがあって、それに関わるものだと思うのですが、面白いのはこちらもやはり組み技であるということです。

 これが中国武術に影響を与えた強さは、基礎である馬歩と弓歩の存在からうかがえます。

 馬と弓は、ブフと併せてモンゴルの祭事ナーダムでの三大競技だからです。これはつまり、モンゴルにおける男児の肉体訓練の中核であるということです。

 さらには聞いた話では、騎上での兵器の取り扱いというのが、どうも打撃の要素になるようなのです。

 この不安定な馬の上で、体内の力と軸を合わせるということが、どうも用勁のルーツなのではないかという言う話があります。

 しかし、だとすると、西洋でも日本でも、あるいはアメリカでも、馬に乗る各地で発勁が生まれてもおかしくなかったということになります。

 そこで私がこれらの説に加えたいのが、第三のインドの影響という話です。

 これは、少林派に伝わる達磨大師がインドから少林寺にもちこんだ易筋経、洗髄経が少林武術の元祖であると言う説です。

 もちろん、中国の研究家、唐豪先生らによってこの説は否定されています。

 しかし、その仮託の土台となった出来事そのものはなにがしかあったのではないかと考えられます。

 つまり、インド武術の影響があったということです。

 これは、インド武術の中には釈尊の教えを土台とする思想があり、また身体用法はヨガの物であったという話から、仏教と同時に少林に武術伝わったと言うことは間違いがないことだと思われます。

 おそらくはこれと前後あるいは並行して、インドでも盛んだったレスリングの研究がされていたことでしょう。

 また、少林では常に、北方からの騎馬民族への対策がされていたということから、カウンター戦法の研究としてモンゴル武術の影響が色濃く加わったのではないでしょうか。

 回族武術を作った回族の人々は、もとはペルシャやトルコなどのレスリングが盛んだった国から来たそうです。そこで生まれた武術が、また騎馬民族との闘争を経て磨かれていったようです。

 これらを少林が取り入れていたことからも、この三大潮流説というのはあながち的を外してはいないと思います。

 さらに言うと、個人的にはここで回族、インドの武術はとくに、長拳類に影響をもたらしたのではないかと思います。

 現代はどうも、特に表演文化の影響からか長拳は基礎の物としてなめられがちだと聞きますが、武術的な指揮者は必ず、長拳はすごい、あれは強いと言います。

 これが武術の基礎だと言うことは、それだけ普遍的なすごい物があるはずです。

 そのエッセンスの部分を、インドと回族の武術がもたらしたのではないのかと想像しています。 

 少なくとも、私が思いつくことは二つあります。

 一つは兵器の用法です。

 おそらく、モンゴル武術で発展しなかった、平馬での打撃法という発想や、レスリングにはなかった徒手と獲物の共通の動きという発想は、長拳類の発展によって一般化したのではないかと推察する次第です。

 もう一つは、内功です。

 この、中国武術最大の特徴こそは、ヨガから生まれたインド武術がそのまま伝わったことで定着した偉大な功績でしょう。

 日本の相撲のルーツもモンゴルにあると言いますが、実はレスリングとの最大の差異の土俵と言う発想は、中国を経由して生まれたものだと思われます。

 と、いうのも、中国武術の試合形式として生まれた擂台と呼ばれるルールは、地面より高くなった仕合台を設定していて、ノックアウトや参ったのみならず、台から落ちても負けという決着方式があったためです。

 日本の相撲(節会相撲)は奈良時代までは握拳による打撃や蹴りも有効であったと言われています。
 これはつまり、擂台のルールとほぼ同じと言えます。

 この押し出しがありということにより、致命傷を与えずに打撃を振るいやすくなることや、発勁による推し飛ばしが有効であるというルールになります。

 と、なってくるとここで鶴拳伝来論を唱えている者としては、片足を高く上げる四股や、両手を広げる柏手と言うのはまるで……嘘ですもちろん。

 あれも柏というくらいでおそらくは鳥なのは間違いはないのでしょうが、それは神道における神の使いが鳥居という言葉で表されるくらいで鳥だからでしょう。

 それになにより、節会相撲の成立の方が清末の鶴拳の発生より早い。

 あ、でも、弓というのはもしかして……。

 だいぶ話がずれこみましたね。とはいえ、中国武術が世界中の武術のルーツである、というのはうそだと思いますが、シルクロード経由で様々な武術とつながっているというのは間違いのないことであると思います。


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