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中国武術の実戦の歴史 一・白鶴拳

 これまで、中国武術の本道は思想の体現であると言うこと書き続けてきました。

 天人合一や無為自然、中和や内外合一に至るための行であり、勝敗や強弱は脇道であると繰り返してきました。

 その上で、歴史的には騎馬民族や海賊との闘争の歴史があり、また村落間の闘争における自衛の術でもあったということも書いてきました。

 その折に、中国における自衛術とは騎馬や船舶を前提とした集団戦、小規模の戦争のような物であり、日本人が創造するようないわゆる「護身術」でもないと書いてきました。

 そのような「護身術」のことは防身術と言い、そういった小さいレベルでの自己防衛術、いわば「オンナコドモの護身技」は中国武術としては例外的であり、内容的には非常に少ない物であると言うことも繰り返してきました。

 このような女性周りの武術と言うと、恐らくは白鶴拳や詠春拳が思い浮かぶかもしれません。

 あるいは船拳という物をご存知の方もいらっしゃる方もおられるかもしれません。

 船拳と言うのは、海上作業をする女性たち(日本で言う海女でしょうか)が海賊と出くわして暴行を受けそうになった時の防身術だと言います。

 これは、詠春拳に非常に似ています。

 詠春拳に関しては元々永春拳と呼ばれていた白鶴拳が簡略化されて防身術化したものであるという見方が有料です。

 白鶴拳、またの名を永春白鶴拳はではどうなのかと言いますと、これが女性開祖説があるのですが、だいぶ内容が豊富です。

 女性開祖説が不思議なくらいに、女性性が薄い。

「福州の人たちは鶴法を良くする」と言うのが昔の記録に残っていますが、この鶴法というのが白鶴拳類のことです。

 福建に永春県という場所があり、そこで鶴法が盛んだったことから彼らの武術が永春白鶴拳と呼ばれるようになったと言います。

 これが通称として白鶴拳と呼ばれ、またそこから簡化として詠春拳が生まれました。

 簡化の前後で大きなレベルの武術と、防身術の境があります。

 この境界にまつわる歴史的なエピソードがあります。

 というのが、本題である「中国武術の実戦」のお話になります。

 上に書いた集団同士の小規模な戦争、これを中国では械闘と言うのだそうです。

 これは中国全土で行われていました。

 騎馬民族の侵攻があり、流民の到来があり、宗教反乱があり、水争いがあり、作物の掠奪がありました。

 これらすべてが械闘であるそうなのですが、これは器械闘争という言葉が略された物だと言います。

 器械というのは兵器のことです。

 つまり、武装した集団同士の闘争というニュアンスがこの名詞には内在していることが分かります。

 この械闘が、特に激しかった土地として、福建省が挙げられているのです。

 その風評と合わせて上述の「福州の人は鶴法をよくする」と言う言葉が合わさったときに、白鶴拳の本来の姿が見えてきます。

 この拳が台湾に根付いたのは偶然ではないでしょう。

 台湾もまた、近代になって開拓された、械闘の地だったことが影響しているのは間違いありません。

 白鶴拳とは元々、そのような村同士の争いの武術だったと言う話は昔からよく聞いてきました。

 兵器として鋤や鍬が伝わっているのは、それがまさに「器械」であるからだということは間違いがないでしょう。

 戦闘要員としての役割を担った、村の男衆の出入りのための武術というのが、まごうことなき白鶴拳の実態だと言えましょう。

 次回からは、この械闘について掘り下げてゆきたいと思います。

 

                                                                        つづく
 


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