前回は神々の世界を人類が侵略していった歴史を描いた「もののけ姫」を取り上げましたが、今回はその神々の側の世界を描いた作品「千と千尋の神隠し」について書きたいと思います。
この物語について特筆すべきは、主人公の少女、千尋が両親の貪欲さからなる「負債」によって奴隷労働者とされてしまう、という部分であると思われます。
物語の始まりにおいて、彼女の両親は明らかに正気を失ったとしか思えない貪欲さを発揮して神々の食品をむさぼり食ってゆき、結果豚となってしまいます。
その負債によって千尋は神々の療養施設において奴隷労働をする身分に堕とされ、名前も千尋から千へと改められてしまいます。
これを前回からの「もののけ姫」からの流れで読むなら、ブーマーたちの環境的負債を押し付けられたZ世代の物語と読むことが可能でしょう。
すなわち、グレタ・トゥーンベリさんを含めた怒れる若者世代の物語だと言えます。
また、前の記事で書いた構図、古代の神々→神々の庶子である半神→人間側に立つ半神英雄→セックスワーカーないしジェンダー活動家→現代社会という配置に落とし込むなら、千の両親はもっとも右側、千はその一つ左のポジションに立っていると言えます。
もののけ姫の背景である室町時代には主人公たちはまだより左側に立てたのですが、もはや右側の数が圧倒的になっている現代ではそちら側に立つことは非常に難しい。
ここでこの、左側の神の側に近しい場所にセックスワーカーが位置している、というのが古来の性神信仰の考え方です。
日本神話において、セックスの扱い方の間違いによって国生みがまず「失敗」し、のちに改めて行ったことで歴史が始まり、そしてその母神がまたセックスにおいて死亡し、その子らである神々がまたセックスでの事件において隠れ、隠れた大伸がセックスの祈祷によってふたたび現れ、そして大神が隠れるに至る罪を犯した神が地に追いやられてそこで性の和合に行き着く冒険を成した結果、地上と言う物を開拓するに至ったというこの国の神話の価値観がここに当てはめることが出来ます。
すなわち、千は神々の怒りを鎮めるアメノウズメノ命の役割を果たす巫女となります。
事実、この物語について宮崎監督は「風俗の話だ」と言っており、千の仕事は慰労のために神々の入浴を手伝う役割だとなっています。
名前を変えられるというのは、すなわち源氏名でしょう。
興味深いのは、この構造が最近の映画「ラストナイト・イン・ソーホー」の中でもまった同様に用いられていたことです。
そちらの映画の中では、60年代のロンドンにやってきた娘が、歌手になる夢を見てソーホーのクラブで舞い踊っていたことをきっかけに大英帝国の繁栄を築いてきたジェントリ階級を慰労する娼婦になってゆくという姿が描かれています。
そちらの映画の冒頭では、田舎にいる娘が鏡の前で将来を夢見てポーズを取りながら、自分の成功した時の名前を様々に考えながら踊っている、というシーンがあります。
巫女、セックスワーク、舞踊、名前の喪失というモチーフが同様に繰り返されています。
少し長くなってきたので、次回に続きましょう。
つづく