前回は前提の説明になりましたので、今回本題に戻りましょう。
ユーチューブにはびこるポピュリズムについてです。
以前に書いた通り、ユーチューブ界隈にはニュースチャンネルとして、ポピュリズムを煽り立てるチャンネルが多かったので非常に驚きました。
今回のバレエ界での問題に関しても、当事者以外で状況をポピュリズム的に煽り立てる配信者が目に付きました。
まさに週刊大衆の動画版と言った次第で、大衆気風を大いに煽り立てていることはなはだしい。
また、当事者外のバレエ関係者や運動関係の人間にもそのような姿勢の配信を観ることが出来て、動画配信はポピュリズムの温床だと改めて感じさせられた次第です。
海外ニュースではこのことはとっくに話題になっていて、トランプ政権の陰謀論などはみなユーチューブにて広まったことが問題になっているとは以前の記事で書きました。
同じことがこの国でも起きていたのですね。
ある配信者のチャンネルでは、自分の発言の立脚点である海外の国立バレエ団で踊っていたというバレリーナのひとの意見に対して「マウントがキツイ」という驚くほどのバカの意見を展開していました。
本質的なバレエ巧者としての視点での意見には触れずに、自分の根拠を明確にした人が自分より上に居たからいってそのような卑屈な感情発作的発言に至る。
これは明確な弱者権力のスタンスで在り、典型的なポピュリズムです。
このタイプの「群れ」からのコメントでは、バレリーナの容姿に対する批判、ですらないただの悪口が多く、完全にルッキズムと感情論に囚われた、立脚点も意見も持ち合わせていない「大衆」の姿をまざまざと見ることになりました。
件の配信者の意見について引き続き紹介しますと、彼はバレエを大衆化させることでバレエが普及するということを説明してるんですね。
そして、それを上のバレリーナは理解していないという批判をしている。
いや、違うでしょう。
ユーチューブで初めてバレエに接した人がなりたがるのはユーチューバーでしょう。
ここにね、ポピュリスト的な、同じような感情を持つ人間を扇動して同じような人間にして仲間にしたがるという群れの心理があるように感じます。
彼は単に、同じような仲間と組む群れを大きくしたいだけなのではないかな。
それは要するに、実力で世界で戦う一流バレリーナではなくて、趣味でバレエをしながらユーチューブを眺めてユーチューブ価値観を共有したがるような群れです。
これ、延長してゆくと彼自身の視聴者数や登録者数に繋がりますよね?
彼の価値観って、とにかく登録者数や視聴回数を貨幣としていたんですけど、その価値観で言うなら、完全に自分の利益に誘導するポジション・トークですよね。
だって、本業で世界で踊ってるバレリーナ、ユーチューバーじゃないもの。
そんなとこで利益を得ようとしてないですもん。
動画配信で利益を求めるのは、本業で世界レベルに達していない配信者だけでしょう。
まぁこれは、あくまで理論的に発言を手繰った結果のいわば邪推です。
そこまで考えずに単に感情発作でやって結果で本人には自覚がないかもしれません。
ただ、自覚が無いままに感情的に現在の群れの在り方を保守拡大してゆこうとするのが大衆心理でしょうから、一端書かせていただきました。
話を進めましょう。
この人は「世界的バレリーナには分からないでしょうがユーチューブ業界でバレエを広めるのはマーケティングという物だ」という論を、テレビ業界を引き合いにして展開するんですね。
ここで、いかにも理路整然とコマーシャリズム経済について彼は語るのですが、ここに私の問題意識が引っかかりました。
前回も書いたように、いまはもう、パラダイム・シフトの時代で、ニュー・ノーマルに向かおう、というその真っ最中なんですね。
彼が語るようなコマーシャリズムが問題になっていて、それを力づくで変えてゆこう、という時期なんですよ。
簡単に言うなら、彼の言うような経済感覚で投資とかしてたら、もうすってんてんの非常に古い考え方なんですね。
完全に時代に送れてる。
大衆化のコマーシャリズムで何かを普及させようって、80年代が最盛期だったやり方ですよ。
それが上手く行かないのにやり続けてきたから、日本の経済は90年代以降だだ下がりな訳でしょう。
そんな価値観が通じると思ってるのは、テレビの中に世の中があると思ってる人だけですよ。
それがテレビ・ピープルですよ。
繰り返しのようになりますが、このような彼の発言が、計画的な物なのか単に古いだけなのかはわかりません。
ただ、結果として非常に古い、時代遅れな考え方であるように思われます。
それやってるとダメだからもう換えよう、って世の中が向かってる最中に、まさに当該の価値観でいる。
その民度なんですよね。
ポピュリズムの一番厚い対象層と言うのは基本中高年です。
若い世代はもう、そういうテレビ価値観で生きてないんですよ。
若者はテレビなんて観てないっていうのはもう散々こすられて来たことですよね。
代わりにユーチューブを観ている率はものすごく高いらしい。
私はどちらもそんなに観ないので自分の体感としてその辺りのことは分からないのですが、どうやらニュースで聴いていたことから想像するような単純な二分化ではなくて、テレビ・ピープルの年齢層もユーチューブに進出してきているということなのでしょうね。
ただ、プラットフォームが同じになったとしても、価値観の分断が無くなるかというとそういうことではありません。
テレビ・ピープルの考え方のままで動画の方向に移行しても、デジタル・ネイティヴの世代とは価値観がまったく違うことでしょう。
現在世界的に非常に問題になっている、ニュー・ノーマルと世代間格差の対立という事象が、こう言ったところにも見ることが出来る、というのが今回のお話でした。
以前も書きましたように、老害と言う言葉はいまはニュアンスがスライドして、旧来の価値観を主張する人たちを指すことが増えているようです。
改革期の足を引っ張って古い価値観で通そうとしているのですからそう感じるのでしょう。
そういった人々が対応性の低い持論を展開した時に、ニュー・ノーマル界隈ではこういう言葉を返すことが定番になっているようです。
「OK BOOMER」