現在、何度目かのリブート作品「ザ・バットマン」が公開中ですが、この作品、先行して公開された「ジョーカー」とも「スーサイド・スクワッド」シリーズとも別の独立したリブート作品だそうですね。
いや、ジョーカーとは繋がってないとと思ったのですけれどそうでもないようで、次回以降また新しいジョーカーが登場するのかと思うとなんだかな気持ちになります。
ジョーカー、過大評価されすぎ。ジョーカーもういいよ。
私が昔テレビで観ていたジョーカーというのは、定期的に精神病院から脱走してはドル袋を盗んだりしてバットマンにつかまってまた閉じ込められて「いまに見てろよー!」と叫んで終わるようなブラック魔王みたいな間抜けな悪党でした。
そんなに意味のある存在だと思ったことはありませんでした。
いまのジョーカー過大評価の流れを作ったのはティム・バートン監督の一作目だと思われます。
おそらく、ジョーカーを演じたジャック・ニコルソンが「これは演じていると狂気に引き込まれるようなキャラクターだ」などと言ったことが強い影響を持ったのでしょう。
実際に精神状態の危うかったヒース・レジャーがニコルソンに演技のアドヴァイスを受けて熱演し、のちに亡くなったこともこの流れに止めを刺したと思われます。
いやでもね、ジャック・ニコルソンのジョーカーだって、元々残酷で良心の無いただの我儘な利益追求型のヤクザ者に過ぎなくて、つまらない路上強盗とか金目当ての反抗とかをしている、どこにでもいるただの常習的犯罪者なんだよ。
そういう理性の働かなさからサイコパスって呼ばれてるけど、単に発達障害的な粗暴さとか即物性であって、あんまり意味とか無いんですね。
結果、ボスの情婦に手を出して焼きを入れられたことをきっかけに顔が白くなっちゃって、それを鏡で見たことをきっかけに完全に気が狂って腹いせに他人の顔も白くしたり、無差別殺人をしてやろうっていうだけのヤツで、全然人を試すような謎の存在とかそういうニーチェ的な物ではまったくないんですよね。
単なる精神病の底辺の落ちこぼれの通り魔をいまの日本では「ジョーカー」って言いますけど、そういう意味ではまさにこれで、古典的な社会からの脱落者で、70年代とかに散々実録犯罪映画で取り上げられてきたような貧相な荒くれ者に過ぎない。
変わったのはもしかして、時代であったり、受け止める客体の方なのではないか、というのが今回の視点です。
つづく