さて、前回ではバートン版のペンギンは実はジョーカーと同じモチーフだった、ということを書きました。
では、二つの皮相を纏わせてバートン監督が描きたかったその中身とはなんなのでしょうか。
ペンギンと言うのは、監督オリジナルの脚色で奇形児としてアレンジされていると書きましたが、その奇形の最も分かりやすく出ている部分は指です。
手の指が五本に分かれておらず、くっついてハサミのようになっているのですね。
昔の中国武術の高手に同じ奇形があった人が居て、鴨手と呼ばれて居たそうですが、まさに鳥の手のように見える、ということだそうで、ペンギンと名付けられた一因だと推測できます。
でね、ゴシック風の背景美術の中で、雪が舞う寒々しい季節、孤独の殿堂に人から離れてこもっている孤独なハサミの手の怪人、ってこれ、シザー・ハンズですよね。
シザー・ハンズと言えばティム・バートン監督の自伝的映画と言われるくらい、自己の心象が強く投影された作品だと言われています。
そこから察するに、これはやはり「自分」なのでしょうね。
とするとここで、ペンギン→バットマンの鏡像関係がうっすらと見えてきます。
そしてペンギン=ジョーカーなので、ジョーカー→バットマンの鏡像関係となる、ということです。三面鏡のようなワンバウンドした作りになっている。
その視点から見るに、ペンギンを操って街の発展を維持し、そこから得た利益をむさぼろうという市長はティム・バートン監督の外部にある「他人」であるように感じられてきます。
発展や経済、技術、ノリの良い楽しそうな市民たち、との間に、ブルースやペンギンと言った人たちは壁を感じている。今で言う「陽キャと陰キャ」のような構造があります。
疎外された陰キャチームに居るもう一人がキャット・ウーマンです。
彼女は重要な存在なので次回に稿を改めましょう。
つづく