Quantcast
Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

ゴッサムの怪人たち 5

$
0
0

「バットマン・リターンズ」におけるキャット・ウーマンは、元々ドジな秘書として描かれています。

 ちょっとアスペルガーっぽいというか、市長の秘書としては務まらないのではないかというくらい非常に問題を抱えています。

 そのためかコンプレックスが強く、彼氏もおらず、結婚をしていないことに引け目を感じているようで、大変ストレスにさらされているように見えます。

 不平不満が多く愚痴っぽくて自分を助けてくれたバットマンにも文句を言うくらいなので、人格に問題が生じ始めているとも言えます。

 その彼女が、持ち前のうっかりから市長の不正の証拠を見つけてしまい、隠滅のためにビルから突き落とされたことがきっかけで怪人キャット・ウーマンとなります。

 ここの描写に詳しい説明はなく、恐らくは突き落されて頭を打ったことと精神的ショックで完全におかしくなってしまったのだと思うのですが、これによって彼女はお手製の雑なコスチュームを着て社会に復讐をする怪人となります。

 女性を襲っている痴漢に暴力を振るったりするのでヒーローだとも言えるのですが、根本的な動機は自分を抑圧してきた社会への憂さ晴らしだと思われますので、ルサンチマンの解消が目的なのではないかと思われます。

 手当たり次第に自分より強そう、マッチョそうな相手を場当たり的に出し抜こうとする辺りコンプレックスに振り回されて彼女自身自分の主体性を確認できていないように見えます。

 つまり、彼女こそがこの作品でもっとも気が狂ったキャラクターだと言えます。

 この、自分が何をしているのか分からなくなっているキャット・ウーマンにブルースも振り回され続けます。

 助けてあげたのに即時攻撃をされたりします。

 この描写は繰り返しのモチーフとなっており、怪人化する前にバットマンに助けてもらったにも関わらず文句を言う、という描写には一貫性を感じます。

 挙句にはキャット・ウーマンは面と向かってバットマンに言います。

「あなたが助けた女性は死ぬかあなたを深く恨むかすることになる。引退しなさい」

 これこそが、私をこの作品に強くつなぎとめたセリフです。

 まさに、路上で顔のようなことをしていて、ストリートの探偵稼業を長くしていた私の体験そのものの言葉です。

 私たちのようなタフガイに救われた女の人は、一瞬感謝をしますがいずれ、自分が過ちを犯し、それを見てその対処をなしとげた「男」を憎みます。

「自分が苦労したことを簡単に解決しないでほしい」と言った子さえいました。

 女性と言う立場から見える社会、そしてそこで人からは見えないように自ら贖って採算を合わせている男性と言うのはそのように感じられる物なのではないでしょうか。

 彼女たちは男性を「自分には使いづらい不完全なシステム」や「半人前で不十分な能力しか持たない神」のように扱い「使えない」「もっと私によくするべきだ。なぜなら私の上位に存在しているのだから」というようなややこしい感情を抱いているというのが私の憶測です。

 よって、バットマンに救済されたことで彼女の自尊心は「死ぬか深く恨むことになる」のです。

 不完全な存在でありながらもどうにか頑張って力を尽くして理想のために正しいことをしようとしている、という評価などは出てこないのです。 

 このような感情を、恐らくはバートン監督は自分の身の回りの経験から女性として描いたのだと思うのですね。

 気まぐれな猫と言うモチーフが大きく着想に影響下のかもしれません。

 彼女のような「弱者」が憎むべき存在は、恐らくは本来、市長のような存在です。

 彼は間違いなく世の中のシステムであり、マッチョ的であり、経済優先で、自分の利益のために動いている巨大な権力です。

 自分が何をしているのかを理解することも出来ないくらい錯乱しているキャット・ウーマンと違い、十分に自分を理解して冷静に倫理の無い経済活動と権力の行使を計画している彼は、もう一つの最も狂ったキャラクターと言えるかもしれません。

 ただそれは、ペンギンやキャット・ウーマンのような「陰キャ」チームのような狂い方とは全く違います。

 物語の最後、陰キャ怪人の二人は死亡し、誰も助けられなかったブルースは放心の態で自宅へと帰ります。

「すべての人に祝福を……女性にも……」と、彼は呟き、この作品は終わります。

 錯乱した狂気と、自己の利益しか考えられない狂気。その二つのはざまで、何も出来なかった男の独白です。

 時代は変わって現在、錯乱した陰キャの狂気はバットマンの前に立ちはだかるまでに巨大な物になっています。

 同時に、抑圧的な強権もまた驚くほど肥大しています。

 そして両者はポピュリズムと言う構造によって一つに繋がっている。

 私たちはいま、世の中を一つづつ良くしていくことで良い世の中に繋がって行けばと願って動いている一人一人の市民である私たちはいま、ブルース・ウェインの立ち位置に居るのかもしれません。

 だからこそ「ザ・バットマン」において、ヒーローとして小悪を叩くのではなく、募金やボランティアと言う社会活動によって改めて社会参画の仕方を検討しなおすべきなのではないか、という問いかけがなされたのではないでしょうか。

 ダークとか狂気とかそういう安っぽいエモさは陰キャ怪人たちに任せておけばよい。

 彼らはすでに、巨悪という陽キャ権力の使い走りになり下がっている。

 私たちには、まっすぐに正面から取り組めることがあるはずです。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3388

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>