さて、前回は「逆襲のシャア」のうろ覚えの粗筋を書きましたが、それを前提にテーマ曲「BEYOND THE TIME」を聴いたり、出来れば歌詞を読んだりされてみてください。
序盤で繰り返される「BELONG」というのは私には普段あまり使う記憶の無い英語ですが「ふさわしい」という意味があるそうです。
私はTMさんがコーラスをした森口さんのヴァージョンをラジオで聴くたびに涙が溢れそうになりました。
これは、愛する物に自分を捧げようとするスタンスから語られている歌です。
この話手は、罪と言う物に極めてセンシティブであるようで、メビウスの輪になぞらえて罪を繰り返すということに苦しんでいるようです。
その彼が(便宜上彼と表記するが女性でもクィアでも問題はないと思います)、平和より自由より正しさより、君だけが望むすべてだから、と訴えているのは、これは恐らく自分が罪を繰り返す動機についての描写でしょう。
これは冒頭で彼がおそらくはこの対象と別れなければならないという前提と合わさると、非常に自己犠牲的、献身的に受け取れます。
歌詞を独立した物だと考えずに、映画のお話を加味して考えた時には、これはつまり、やりたくないけどやりたくないことをしなければならない人の視点であることが推測できます。
そして、平和、自由、正しさ、というものが非常に民主主義的、大国主動のグローバナイゼーション的なテーゼであることが感じられるかと思います。
普通にお題目的な歌、特にとがることもない大衆的な楽曲の世界観であるなら、平和で自由で正しい物が良いとする訳ですよね。
絶対音感の天才、桑田佳祐氏なんかは若い頃は色々とんがった制作を実験していましたが、最終的には大衆芸能的な手法を体得して、なんの恥ずかしげもなく「みんなで元気に頑張ろー!」というような曲を作られるようになりました。
これはそういう「ベタの力」みたいな物を充分に理解した上でのことだと思うのですね。
でも、ここはそうではない。みつ子さんのこの歌詞は逆なんですね。
そしてその逆さは、映画で葛藤しながら愛人に縋り付きつつなんとか頑張って人類の大虐殺をしようとしているシャアの姿と非常に繋がります。
彼は、あるいは彼らは自らは過ちを犯す道を選びつつ、愛する者、大切に思う物は汚さないようにしようとしている。
そのために自分の手を汚して「過ちの船」に乗ることを選択した人なんですね。
これは自ら責任を受け持つことにした人であると同時に、そのことによって他の誰かの何かを守りたいという中国で言う「侠」の姿勢です。
これね、戦争と言う物を考えた上で非常に見落とせない視点だと思われます。
いま、突然自国に敵が攻め込んできた時に抵抗をするのか不抵抗を貫いて交渉をするべきなのかという論争を目にするようですけれども、これ、そういうことではないのですかね?
突然大国の侵略に合ったなら「平和より自由より正しさより」抗戦することを選択することは、否定できないのではないかと私などは思います。
やられたらやりかえすから争いが絶えないのだ、と主張する「平和主義者」は沢山います。
でもそれって、極めて他人事ではないですか?
本当に、痛みを引き受ける覚悟を持って無抵抗を貫ける人ってどのくらいいるのでしょうか?
本当にそれが出来たならガンジーですよ。歴史に残る偉人の姿勢ですよそれは。
お題目だけでそんなことが本当に可能だとは私には思えない。
それよりは、闘争という罪を引き受けて、大切な者を守るという考えの方に感情移入が出来ます。
つづく