前回は現代人とは価値観の違う、仏教以前のヨガ的考えからニュー・タイプを見てみました。
この記事を書くに伴って、ニュー・タイプとはなんなのかということをウィキペディア程度で調べてみたのですが、そうすると彼らはインドで修行している、という証言が見つかり、やはりヨガ行者のことなのだろうな、ということが見えてきました。
再三繰り返している通り、このヨガの考えが中国に伝わって気功や少林拳となりました。
道教ではこの修行して超人になると言う考え方が神仙思想となりました。
人間の遺伝子の中の原始的な力を覚醒させて超人化するという考えです。
逆に、野生の動物たちも遺伝子の中の人間的な能力を開発すると神仙になります。
よって、古代中国の神仙たちは半人半獣となっています。
彼らはまた、古代インドの神々と同じく仏教的な倫理観はありません。
割とスナック感覚で人を殺したり食べてしまったり漢方薬扱いにしたりします。
西遊記に出て来て、聖僧を食べると不老不死になるなどと言って三蔵法師をさらう妖怪たちと言うのはこの神仙です。
もちろん、三蔵法師を守る孫悟空も、斉天大聖と言う天界の神仙の一人です。
彼は猿が進化した神仙のように見せかけて、元々は猿に似た形の石です。
このように、無機物もまた神仙となります。山岳信仰や日本の付喪神というのはこの辺りから通じている物だと思われます。
そもが、ヨガ行者自体にも人を食べると修行の扶けになると言って骨を食む者が居たり(ゲームに出てくるダルシムはその派の行者ではないでしょうか)、一般の中国人でも昔は人を食べたりしていたので、この辺りの背景はやはりインド、中華文化に通底している物だと思われます。
となるとやはり、修行で能力の覚醒した行者が戦線で兵卒のようなことをしていても不思議ではありません。
ウィキペディアによると、ニュー・タイプとは直観力、空間認識能力、コミュニケーション能力が発達した者とあります。
超能力者のように見えて、実は物理的な超能力は無いのですね。
コミュニケーション能力と言っても、セールスマンやセミナー関係の人たちのような能力では無くて、空間を越えて会話が出来ると言う多心通のことを指しているようです。
つまり、物理的な会話能力の延長です。
そして、これらの能力の特徴として、作劇上は活用時に眉間に電のようなマークが走る、とありました。
これはちょっと笑ってしまったのですが、どうやら笑いごとでは無くて重要であるようです。
当時の業界からの発言として「あの描写は古い」という批判があったようなのですが、これは単なる古い演出ではないようである、というのが私の見解です。
つづく